IMIDAS 2000年版原稿

2000年12月14日  猪口邦子


ネオリアリズム    ネオリベラリズム   勢力均衡   双極化・多極化

相互依存   国際レジーム   政策協調   グローバリゼイション

地域主義   G7サミット   覇権安定論   覇権循環と覇権戦争

ポスト覇権システム   世界システム論   従属論   構造的暴力

冷戦の終結   民主的平和論   知識共同体   Eコマース

人間の安全保障   グローバル・ガバナンス   コンストラクティビズム

巻頭のことば


本文のはじめ

情報の時代から知識の時代へ、と願って国際政治の頁は執筆された。あれこれと知っているより、知っている内容の人間社会にとっての意味を考察したい人へ、と思って項目を決め、執筆した。国際政治は情報過多で日々の出来事に翻弄されやすい分野であるが、一息ついて大局的な方向性を捉えてみると、多くのことがその文脈において解明できるようになる。そしてそのとき、情報は知となって私たちの対応力を高めてくれる。


ネオリアリズム   Neorealism

 古典的リアリズムでは国際政治の現実は軍事力を中心とした国益をめぐる権力闘争であるとみなした。また古典的リアリズムがそのような国際政治のダイナミズムの源泉を人間性や国家レベルの要因に主として見出そうとしたのに対して、ネオリアリズムは国際体系の構造とその不安定性に見出そうとし、紛争や武力対立の発生を国際構造の側面から一般化しようとした。ネオリアリズムが構造的リアリズム(structuralrealism)とも呼ばれるのは、国際システムの構造がその個々の構成員の行動をかなりの程度規定するという主張のためである。古典的リアリズムと同様にネオリアリズムはパワーを中心的概念とし、また国際社会の無政府的特質を重視するが、ネオリアリズムにおいては、国力の差異や分散状況により国際システムの構造が決まり、またその構造上の位置により各国の対外政策は規定されるとする。米国の国際政治学者K.N.ウォルツ(KennethN. Waltz)のTheory of InternationalPolitics(1979)により始まったとされる見解。批判としては、古典的リアリズムと同様に一般理論としての科学的実証が困難で不充分であること、すべてを構造に還元してしまうのでは同様の構造の中での諸国家の多様な行動と関係を説明できないこと、また構造を与件としすぎるために国家の政策的な主体性を分析しにくいことなどがあるが、他方で、武力紛争の発生しやすい構造を知ることは、それに注意し、同様の結果を繰り返さないようにするための知識の基盤ともなる。  

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ネオ・リベラリズム   Neo liberalism

 古典的リアリズムが専ら軍事力をパワーの中心的要素と考えたのに対して、ネオリアリズムは経済力の格差と分布を含む国際構造を論じたが、ネオリベラリズムは、経済的相互依存がもたらす緊密な国際関係や、協調と問題処理メカニズムとしての各種の国際経済レジームによる平和の可能性を重視するなど、一層政治経済学的志向性が強いのが特徴である。経済学ではネオリベラリズムは国家の市場介入を警戒するという視点から国家の役割の限定を論じるが、国際政治では国家の軍事中心主義を警戒するという視点から国際経済関係を重視して国家の国際システムにおける役割を相対化しようとする。いずれも国家が伝統的に国内、国際の両面で担ってきた権力的機能の抑制が必要と考える点において思想的共通項がある。国際政治学においては、ネオリベラリズムは必然的に国際機関など非国家的アクターの機能に注目し、また国益の擁護などリアリズムと共有する視点は多いものの、国際関係の緊密化と分野の広がりに着目して長期的な観点から互いに譲歩や協調を引き出すことが可能であるという観点に立つ。冷戦の終焉がリアリズムの予想に反して実現可如w)修任△辰燭海箸氈」僖錙璽櫂螢謄DD肱世硫畩蠅蔽噂祺修鮖愿Δ垢襯優・螢戰薀螢坤爐寮、い侶正,箸覆辰拭@ :ネ鹿仂w)w)斜ソ棉芭薯蜃蔗礦゚齠粛齒麗鴉瘡徐ぢ                              このページのトップへ


勢力均衡   Balance of power

 国際関係の安定を維持するために主要勢力の軍事力を均衡させるという考えは古代から各地に見られ、また現代では冷戦期の米ソ関係もそのような基本認識に基づいていたと見ることができるが、安全保障体制としての勢力均衡原理は厳密には三十年戦争の講和条約である1686年のウェストファリア条約の成立から、主要5カ国である英国、フランス、ロシア、プロイセン、オーストリア間の均衡がついに崩壊する第一次大戦勃発までのヨーロッパ国際政治体系について用いられる。主要各国の独立が維持されるよう、一強国による全体の支配や膨張を牽制することがその根本原理であり、そのためには同盟を機敏に組替えることもあり、また均衡を回復させるために、たとえばナポレオン戦争で敗戦したフランスのシステム復帰を認めるなど、常に主要国が相互に拮抗することで征服による一元的支配を拒もうとした。一般に戦争は限定目的のためにのみ戦われるべきであるとされ、大規模な戦争はシステムに不確定な結果をもたらすので均衡原理の観点から警戒され予防が重視されたため、ヨーロッパ外交の手法と技がこの時代に発展したとされる。しかし小国にぁw)弔い討脇販C梁砂鼎箒儿娶桐C呂覆@⊃テ戮離檗璽薀鵐品ア笋筌丱襯D鹵楼茲悗遼陳ス臉錣妨C蕕譴襪茲Δ法▲茵璽蹈奪兌ネ嫦楼茲和膵颪龍儿娶桐C量圭發量契茲箸覆辰拭C泙拭▲茵璽蹈奪册睇瑤遼陳イ鯣歡蠅靴燭海箸納舁弭颪漏依里悗遼陳イ魘イぁ∪こΔ猟觜饉腟租ハア笋ス覆鵑澄Y_さコ能蕕寮こβ臉錣氈」丱襯D鵑寮]霽坩造叛こκア笋慮続ΔC藥呂泙辰燭海箸蓮△海慮桐C貌盧澆垢觸殿腓別圭發鮗┐靴討い襦_ホ篭儿佞蓮キ餾歙[C砲、韻襯螢▲螢坤爐了訶世陵WセC鯱西擇垢訛緝重、併フ磴箸気譴襦:ネ鹿仂w)w)斜ソ棉芭薯蜃蔗礦゚齠粛齒麗鴉瘡昭?頒兎就t關⊂このページのトップへ


双極化・多極化   Bipolarity/multipolarity

 主要勢力が二つに分かれて対峙するというのは国際社会のみならずどのような社会状況においてもよく見られる勢力分布であるが、国際政治においては、はたしてそのように勢力が二分されている方がシステムとして安定するのか、それとも三つ以上の多数の求心的な極が存在している方が安定するのかをめぐっての論争がとりわけ冷戦期には見られた。米ソ冷戦構造は典型的な双極化構造だが、1970年代に入ると日本と欧州の経済的求心性が評価されて日米欧の三極構造のシステム安定化効果が論じられるようになった。その背後には軍事力一辺倒の国力観の修正があり、パワーポリティクス論に対する経済重視の相互依存論やネオリベラリズムの思想的発展があった。多極の方が、さまざまな調整の余地や交渉回路を発見することが可能になって国際システムの柔軟性が増すと考えられるが、他方で相互作用は複雑になり、協調や多様な問題への対処を促進する各種の国際レジームが同時に発展することなどがその利点を引き出すためには望ましい。双極化は二大勢力の拮抗で一見安定化しているようでありながら、加速的な軍拡競争やシステムの硬直性など大きぁw)淵螢好C閥式劼鯑睚颪靴「舛任△襦N篝鏝紊旅餾櫂轡好謄爐蓮オ鎧テ、砲呂修里い困譴任發覆な胴饕蔚鵬修砲覆蠅弔弔△蝓△泙新从冖未任篭帽渋い茲螢哀蹇璽丱螢璽ぅ轡腑鵑筌優奪肇錙璽C領漏悗チ輒椶気譴襪茲Δ砲覆蝓∩亢:ヌ:ぢ多極の議論は下火になった。

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相互依存   Interdependence

 国家間が同盟や外交関係のみでなく、貿易や投資など多様な経済活動により重層的に結びつきを深めている状態。1970年代はじめに日米欧の先進国関係の相互作用の深化に注目して広まった概念であり、思想的にはリアリズムの軍事中心的視座への批判が内包されている。経済的相互作用が拡大すると相手の行動への脆弱性(vulnerabilityinterdependence)が高まり、また相手のマクロ経済の動向に敏感に左右される(sensitivityinterdependence)ようになることが米国の国際政治学者R.コヘイン(RobertKeohane)とJ.ナイ(Joseph Nye,Jr.)などにより指摘された。また多国籍企業や国際機関など多様な非国家主体がさまざまなレベルで複雑な国家間の関係性を編み出していることから、複合相互依存(complex interdependence)の表現もよく用いられる。ネオリベラリズムや国際政治経済 (IPE=International Political Economy) の起点となる概念。

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国際レジーム   International Regimes

 相互依存の進展にともない、国家間関係が強化される一方で、経済に関する摩擦や利害の衝突も増え、効率的な問題処理手続きなども含めた協調の枠踏みが必要となった。二国間で対処するばかりでは同様の問題が各国家間で多発することも多く、また二国間における解決が他の諸国に不利益をもたらしかねないこともある。そこで多国間で特定の問題領域に関して共通の規範を形成し、互いの利害を調整して交渉と協調を促進する枠組みが求められるようになったが、国際機関や協定などの機構論ではなく、機能的側面を論じるときに用いる概念。たとえば自由貿易に関してGATT(関税と貿易に関する一般協定)やWTO(世界貿易機構)を機構としており、体制としての機能と力学を考察する場合に、その関連メカニズムも含めて国際貿易レジームという。従って概念としての抽象度は高く、最もよく引用される定義は、「明示的あるいは暗示的な原則、規範、規則および政策決定の手続きの集合からなり、これを中心に国際関係の当該問題領域に関する行為主体の期待が収斂する」(S.クラズナー)。

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政策協調   Policy coordination

 主として通貨の適正水準を求める為替市場への協調介入、公定歩合の協調利下げ、財政金融の緩和策の採択などを指し、世界経済の安定化のために場合によっては短期的な経済利害を超えて協調的にマクロ経済政策を運営すること。さらに経常収支、財政収支、成長率、インフレ率、金融情勢、失業率など基礎的経済条件(ファンダメンタルズ)の相互監視(サーベイランス)や連動的改善も含む。本格化するのは1985年9月のプラザ合意によるドル高是正への協調介入から。経済的相互依存が進展した1970年代は同時に変動相場制への移行や石油危機などで国際経済秩序が大きく動揺し、世界経済の混乱を回避するには主要先進国のマクロ経済政策面での協調が必要という認識から生まれた。

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グローバリゼイション   globalization

 個人、企業、団体などさまざまなアクターが、国内の範囲をこえて広く国際的に合理的な選択を求めて行動しようとすることから地理的に広範な市場やネットワークが進展し、また個々の立場がそのダイナミズムに影響を受けるようになるプロセス。それにともない、合理的選択を求める相互作用を容易にし、簡素化し、またそのリスクを最小化するために、規格や手続きを標準化する必要が生じ、国際的に認められたものをグローバル・スタンダードという。それには、ISO(国際標準化機構)など正式に公的な機関により認められてその機能を獲得していく場合と、市場での競争力ゆえに事実上の国際標準になる場合があり、後者はデファクト・スタンダードといわれる。

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地域主義   Regionalism

 グローバリゼイションの勢いが強まるなかで、地域的にまとまりのある諸国が結びつきを強めることでその過度の影響から互いに守り合い、また一国では実現しにくいインパクトを国際社会や世界市場に対してもたらそうとする動き。連携の制度化の度合いはさまざまであるが、EU(欧州連合)、NAFTA(北米自由貿易協定)、APEC(アジア太平洋経済閣僚協力会議)などは代表的な事例。世界が戦間期ようなブロック化に向かうことは各国の利益に反するという見方が主流であり、開かれた地域主義の可能性が模索されてきた。

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主要先進国首脳会議   G-7 Summit

 第一次石油危機後の不況や為替変動相場制への移行の不安感の中で主要先進国が協調して対応するために、1975年に米国、英国、フランス、西ドイツ(当時)、イタリア、日本の6カ国の首脳が参集して協議を行って以来、毎年開催されてきた首脳会議。翌年にはカナダもメンバーとなり、1999年6月のケルン・サミットで四半世紀も続いたことになる。今日ではそのG7諸国にロシアも加えた8ヶ国が集って開催される。議長国は持ちまわりで、紀元2000年のサミットは7月21日から3日間、沖縄で開催される。定例的に開催されてはきたが、サミットには常設の機構や本部などはなく、会議は各国の自発的な参加合意によって続いており、サミット=山頂への首脳の登頂を手伝うと言う意味で「シェルパ」と称する首脳の個人代表がその年の国際的課題を調整して運営される。このようにサミットは各国首脳を中心に柔軟な運営がなされているため、国際社会の緊急の問題や新種の課題に早めに取り組むことが可能であり、たとえばケルン・サミットではグローバリゼイションの負の側面への注意が喚起され、人間味,u「里△襯哀蹇璽丱螢璽ぅ轡腑鵝蕗ネ芟閧瘡蝴癆蜿迢u蜚苙蔘轣迢u蓊:ぢ)の必要が強調され、数年来のグローバル化礼賛の思潮に歯止めをかけた。サミットはもともとはEconomicSummit(経済サミット)と呼ばれ、当初は政治イッシューにおける西側陣営内の差異を顕在化させないために経済問題に限って議論していたが、今では人間社会が直面するあらゆる重要テーマが対象となる。

 主要先進国サミットは、1950〜60年代を通じて機能したとされるパックス・アメリカーナ(米国主導の国際秩序)のようなヘゲモニックな国際秩序が後退しても、国際社会が高度な自己組織性を発揮し得るようになったことを示す貴重な事例である。背後には、経済的相互依存の深化があるが、同時に、複雑化する国際関係の中で改めて人間同士の直接的で反復的な出会いと信頼関係の重要さが認識されるようになったことがある。実際にサミットは首脳の個人的な信頼関係を多国間で合理的に培う場として機能しており、昨年のバーミンガム・サミット以来、閣僚会合を先行させて分離開催する方式が採用され、首脳同士の共通認識の形成が一層強調されるようになった。

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覇権安定論   hegemonic satiability theory

 一大強国が国際秩序を一種の国際公共財として供給し、その負担をほぼ単独で負うような国際システムは覇権システム(hegemonicsystem)と呼ばれる。パックス・アメリカーナ(固定相場制、自由貿易体制、エネルギー体制などを含む戦後の国際政治経済体制)はその典型とされ、19世紀のパックス・ブリタニカも覇権システムの一種とする見方もある。覇権安定論によれば、国際秩序は覇権システムが安定して機能しているときに最も安定し、また覇権システムは覇権国(hegemon)とその他の勢力の間にシステム変動を抑止するに十分なパワーの格差が存在し、結果に見合わないコストなくして覇権国に対する挑戦は引き起こせないと考えられているときに最も安定する。パックス・アメリカーナは、1970年代前半の固定相場制の崩壊や石油危機とその後の不況、またその時期に米国が20世紀に入って始めて貿易赤字を経常したことなどから揺らぎが懸念されるようになり、それを背景にR・ギルピン(RobertGilpin)やS・クラズナー(StephenKrasner)などネオリアリズムの国際政治学者が唱えた。その考え方によれば、覇権国の機能により国際システムは安定化するが、その均衡は、@覇権国は国際秩序のコストをオーバーペイ(過剰負担)する運命にあり、Aそれを賄うために遂行される支配の拡大はいずれ必ず収益よりコストが上回るようになり、B軍事面でも経済面でも技術突破の高い費用に対して、技術の伝播は早いために、覇権国の絶対的な優越の長期維持は困難なことから不安定化する。経済学者C・キンドルバーガー(CharlesKindleberger)が、国際経済の安定化には国際通貨体制などを保障するスタビライザー(stabilizer=安定化促進勢力)の存在が必要であるとしたことに類似している。エール大学の歴史学者P・ケネディー(PaulKennedy)が、ベストセラーとなった『大国の興亡』において、ネオリアリズムとは別の米国悲観論の立場から、ハプスブルク、英国、米国などすべての大国は、「帝国の過剰拡大」(imperialoverstretch)、すなわち権益と支配の過剰拡大という共通の原因により衰亡すると主張したことにも、部分的に類似する。

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覇権循環と覇権戦争   hegemonic cycle and hegemonic war

 パックス・アメリカーナの揺らぎが指摘された1970年代半ばごろから、米国では戦後の成長期に内在した直線的進歩主義(linearprogression)の視座とは異なる循環論パラダイムが流行し、米国主導体制の揺らぎを循環現象の一局面と理解しようとする観点から歴史にみる覇権システムの動態が論じられた。覇権安定論によれば、覇権国(hegemon)は国際公共財の過剰負担から疲弊し、他方で国際体制の便益にただ乗りして成長する国が挑戦国(challenger)となって追い上げる構造が長期的には存在し、過去においてはやがて覇権戦争、すなわち覇権国にとっては覇権防衛の、挑戦国にとっては次期覇権の座を狙う覇権攻防戦が各時代の最大規模の戦争として発生した。ハプスブルクの支配に対するオランダの台頭の契機となったスペイン戦争(=オランダ独立戦争、1597〜1609)、英国が構造的支配の地位を得る契機となったフランス戦争(1713年のユトレヒト条約により英国はヨーロッパ大陸内はフランスに譲る形式をとりながら、地中海世界と外洋を結ぶジブラルタルや後の三角貿易の要となるアシエント=奴隷貿易独占権など海洋覇権の基礎を奪取した)、フランスが挑戦国として覇を狙い、英国の海軍力に最終的には阻止されるナポレオン戦争(1792〜1815)、プロイセン=!ドイツが挑戦国の立場をとった第一次世界大戦(1914〜18)とそのやり直しの第二次大戦などが、覇権戦争として位置付けられる。

 覇権国は覇権戦争を通じて台頭し、秩序の基礎を固め、支配に資する制度的発明を行い(たとえば、オランダの連合東インド会社、英国の中央銀行制度、産業革命、米国の多国籍企業、核抑止戦略、宇宙開発体制)、ある種の国際秩序を供給し、拡張し、その負担に病み、克服のためのさらなる拡張を行って衰退し、覇権戦争で次期覇権に国際システムを譲る、という軌跡を大体において描くとされ、これを覇権循環という。米国はこの学説から、覇権国としての衰亡を防ぐには、国際的なコミットメントを拡大し過ぎず、また国際秩序のただ乗りを許さずに負担分担を行うという政策的教訓を引き出し、実行し、こうして知識を政策に活かして実際に衰亡を免れている。因みに、少なくとも18世紀以来、上記の例の他にクリミア戦争でのロシアも含めて挑戦国は必ず敗者となり、米国のように覇権戦争において衰退する覇者に最大の支援を与えた国に覇権は継承される構図があった。このような分析ができていれば、日本は第二次大戦期に挑戦国の側につくべきではないことが自明であった。国際政治学が広く学ばれていなかったコストは大きい。

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ポスト覇権システム   post-hegemonic system

 覇権安定論によれば覇権システムは秩序供給者の過剰負担で必ず不安定化し、またそれゆえに最大級の戦争が発生し、しかもそのような経緯がある種の周期性をもって循環するというわけであるから、実際には極めて構造的に不安定なシステムであり、その超克へのメカニズムこそ検討されなくてはならない。R・コヘイン(RobertKeohane)はAfterHegemonyによって、その題名のとおり、覇権システムに依存しなくても主要国の協調と負担の共有による国際公共財の供給が可能であることを示し、ポスト覇権システムへの理論化を推進した。それによれば、@不特定多数ではなく特定の幾人かのプレーヤーから構成されるシステムでは、互いに行動を監視できるので、共に集合財を提供し合うことが可能であり、A「囚人のジレンマ」ゲームにおいて非協力解の選択が優越戦略(相手の選択の如何にかかわらず自分にとって合理的な戦略)となるという論理は、同一のメンバーで連続的・反復的にゲームが行われる場合には、非協力の選択は報復を招くためその長期的コストは大きく、将来にわたってゲームが続くという認識ゆえに協調解に至ることが可能であることを示し、ネオリアリズムが想定する協調不可能なアナーキーな国際社会の前提は現実的ではないことを示した。

 ポスト覇権システムとは、覇権システムのように一大強国が他国との国力の圧倒的な格差を前提に国際秩序を単独で供給するのではなく、リーダーシップを発揮する中心的な国家が存在するとしても(ポスト△△と言う場合には△△と無縁のものではあり得ない)、国際政治経済の各領域に最も深く関わる関係各国が相互に、そして外部とも絶え間ない利害の微調整を行いながら、政策協調とコンソーシアム型共同管理システムの運営を通じてその分野の秩序を維持する国際システムであり、@問題領域別コンソーシアムの重層的体系、A政策の連動と利害の連続的微調整、B国際公共財の共同負担、などを特徴とすると考えられる。主要先進国サミットなどに象徴される新たな多国間首脳外交と、分野別、地域別などに派生していく各種の協議体の重層的ネットワークはその一端を示している。このような機能の国際秩序供給能力は未だ不確実ではあるが、現在の国際社会のある種の内発的な自己組織性の発現形態として理解できる。

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世界システム論   World-system perspective

 世界システムがいつごろから発生したかについては、1500年前後を一応の基準とすることが多い。米国の社会学者I・ウォラスティン(ImmanuelWallerstein)は、世界システムを経済分業で結ばれた全体、あるいは人間の物理的、精神的存在にとって枢要なものを生産して交換する集団的広がりととらえ、そのような関係の世界的規模における成立は、東方貿易を飛躍的に拡大したインド航路が開拓され、また銀の大量流入をもたらす新大陸が発見された15世紀後半から、その経済効果がヨーロッパ中心的初期世界市場の誕生につながる17世紀前半までの「長い16世紀」においてであると指摘した。「長い16世紀」の終わりには、常備軍、官僚制、新興市民層などを背景に中央集権化の条件が広く整い、国民経済の発達と軍備拡張が可能となってヨーロッパの求心性が揺るぎないものになり、近代ヨーロッパ中心型世界システムの様相が明らかになった。強力な中心の出現は同時に他の地域の周辺化をもたらし、ヨーロッパの中心性の維持と、世界の他の地域の周辺化は一対のプロセスとして進展した。

 中心(center)と周辺(periphery)の生成が進むと、必然的に他の二つの重要なカテゴリーが現出した。一つは周辺の一部でありながら経済的自立を目指し、他の地域を周辺化することで自らの中心性を高め、中心国の仲間入りをいずれ達成しようとする準周辺(semi-periphery)と呼ばれる諸国で、その特徴は中心を目指すアグレッシブな上昇志向にある。もう一つは、世界システムにおける周辺化作用を免れるために、自らをシステムから遮断し、システムに有機的に結合されない立場をとる地域で、外部(externalarea)と呼ばれ、地理的に遠方であるために事実上経済分業に組み込まれない地域も含まれる。このような関係性のなかでいかに中心を構成する地域や国が移り変わり、それにともなって覇権が循環し、またさまざまな周辺化作用が展開したかという観点から、数世紀にわたる時間軸で分析してこそシステムとしての世界の本質が理解できるとする見方が世界システム論である。

 覇権の条件としてネオリアリズムの場合より特に重視されるのは金融支配力で、ウォラスティンらが覇権国とするのはハプスブルク、オランダ、英国、米国である。覇権の軌跡にはA面とB面があり、A1=覇権への躍進、A2=覇権の確立、B1=覇権の成熟、B2=覇権の衰退、という四つの大まかな局面から覇権のサイクルは成り、コンドラチェフの長波(約50年を周期とする最長の景気循環)の約2回分を一つの周期に覇権は循環するという。

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従属論   dependency theory

 1960年代よりT・ドスサントス(Theotonio DosSantos)やC・フルタード(Celso Furtado)、A・G・フランク(Andre G.Frank)などのラテンアメリカの経済学者らによって唱えられ、南北問題の理論化に大きな影響を与えた学説。第三世界の貧困の起源は、一次産品供給の単位として世界システムに組み込まれた植民地の歴史にまで遡るとし、ヨーロッパ中心型世界システムの発展と一対のプロセスとして非ヨーロッパ世界の周辺経済化が進んだと論じた。植民地独立によって帝国の支配からは解放されても、単一栽培を強化するアグリビジネスや資源開発型多国籍企業の浸透により、同様の垂直的分業と収奪体制が維持されたと指摘し、低発展が構造化されたことをラテンアメリカ諸国の事例研究によって示した。

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構造的暴力   structural violence

 ノルウェーの平和研究者J・ガルトゥング(JohanGaltung)が示した概念。戦争のような直接的な暴力の発現形態に対して、生命、人権、教育などが保障された本来あるべき公正な社会水準と、飢餓や抑圧に苦しむ現実との乖離を説明するために用いた概念で、社会構造の歪みや不当な権力の発動による剥奪状況を表す。第三世界の剥奪状況に対して、従来の近代化論は教育や資本形成の遅れなど国内要因を強調してきたが、ガルトゥングは外部の中心経済の中枢と周辺国の特権富裕層との連合によって、周辺の周辺(peripheryofperiphery)すなわち周辺国の中の周辺的な立場の人々である農民や労働者の貧困が構造化されていると指摘し、低発展の起源が国内より国際経済構造にこそあるという観点を理論化した。

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冷戦の終焉

 米ソ冷戦のプロセスは大別すると、冷戦期、デタントT、新冷戦期、デタントU=冷戦終結の四局面を経たとみることができる。冷戦は第二次世界大戦直後に始まり、米ソ間の核軍拡競争やキューバ危機などの軍事危機、そしてベトナム戦争や朝鮮戦争など第三世界での熱戦化による熾烈な大国間武力対立として展開した。米国の当初の核戦力の優位性に対してソ連が追い上げ、ソ連がついにSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)の開発したことで1960年代末にはパリティーが達成されたと言われたが、このことを背景に1972年にはSALTT(第一次戦略兵器制限暫定協定)が核兵器の軍備管理条約としては始めて締結された。デタントTはその準備が始まる1969年頃から、ソ連が突然アフガニスタンに進攻する1979年までは続くと考えられる。1979年からは新冷戦と言われ、1980年のモスクワ・オリンピック西側不参加や、SS−20やパーシングUの中距離核兵器(INF)の配備などで緊張が続くが、1985年に西側との交渉に積極的なゴルバチョフ政権が誕生したことから新冷戦からの脱却とデタントUの訪れが言われ w)▲妊織鵐鉢兇呂修里泙淮篝鐔キ襪悗箸弔覆「辰拭:ネ鹿仂w)w)斜礦゚齠粛齒麗鴉瘡徐ぢ 冷戦終結の背景には政治的、経済的、戦略的な理由がある。政治的には、民主化に意欲的な政権がソ連に誕生したことと東欧諸国の民主化運動による体制転換があろう。経済的には、核軍拡の経済コストが両国の経済を極端に悪化させたことがあろう。SDI(戦略防衛構想)関連の予算を含むレーガン政権期の米国史上最大の平時防衛予算は財政赤字の急増の主因となり、それを補うための著しい高金利政策によるドル高構造は深刻な貿易赤字問題をもたらした。戦略的には、核軍備技術の高度化による安全保障戦略の行き詰まりがあろう。初期の核ミサイルはCEP(半数必中半径)値が高く、命中精度が悪くて実戦で正確な作戦展開を想定できる水準にははるか及ばなかったが、INFはCEP値わずか45メートル、マッハ12、着弾まで8分の兵器である。このような兵器が双方で配備された段階での戦略的リスクはあまりにも大きく政治的な和解のタイミングが図られるようになったのは戦略的必然でもあった。このことは1985年に再開された米ソ首脳会談の最初の成果が1987年の中距離核戦力全廃条約(INFTreaty)であったことにも表れている。

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民主的平和論   democratic peace theory

 民主主義国家間不戦構造に関する学説。民主的な国家がその他の国より平和的であるとは限らないが、民主的な国家同士の間では戦争はめったに発生しない、というのがその基本仮説で、1795年にI・カント(ImmanuelKant)が『永久平和のために』のなかで民主的な共和国が互いに作る平和的な連合について論じたことが思想的な起源であることから、カンティニアン・ピースともよばれる。従来、戦争と政治体制との関連では、数多くの研究が民主主義という国内体制の特徴と戦争志向性の低下を実証しようとして結論を得られないでいたが、エール大学のB・ラセット(BruceRussett)らは、国家の属性ではなく二国間関係(ダイアッド)における共有属性としての民主主義に着目し、平和との相関を実証した。すなわちダイアッドの双方が民主主義であれば両国の間の戦争蓋然性は減少し、また発生した武力紛争も拡大しにくくなり、この効果は経済力、成長率、同盟関係、軍事力の差など一般には戦争蓋然性と関係すると考えられてきた変数と無関係に独立して存在することを検証した。ある国が民主化を遂げたから平和な国になるわけではないが、民主主義同士は戦わないため、システム内に民主的な国が増えれば民主国同士というダイアッドも増え、戦争の蓋然性は減少することになり、米国政府はこの理論に基づき民主化支援重視の外交政策を展開してきた。

 他方で、民主化を遂げた諸国は他の民主主義諸国との間には不戦構造を築くかもしれないが、民主化の過程においてナショナリズムが高まり、また経済運営が一時的に混乱することなどもあって、非民主主義国家に対する対外攻撃性がむしろ拡大する恐れも否定できない。このようにダイアッドの平和がシステム全体における戦争過重につながらないような観点からの息の長い支援の検討も急務である。

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知識共同体   epistemic community

 冷戦後の世界では、国際社会の相互作用の深化を背景に、環境問題、人口問題、核不拡散、債務救済などさまざまな地球的規模の諸問題に対応する際に国境をこえた専門家集団のネットワークが重要な機能を果たすようになっている。いずれの分野も調査、因果関係の推定、対策の考案などに高度な専門的知識と規範認識が必要であり、専門家の国際ネットワークは知識の提供者と規範の形成者として国家や国際機関に対して大きく影響を及ぼすようになっているが、そのような専門家集団はエピステミック・コミュニティーと称され、「特定分野において専門性と能力が認められ、その分野ないし問題領域内で政策上有効な知識について権威をもって発言できる専門家ネットワーク」(P・ハース=PeterHaas)と定義される。名称が哲学用語のエピステモロジー(認識論)に由来することにも表れているとおり、その特質は知識水準と規範認識の共有にあり、また組織より専門家としての個人間のネットワークによる力にある。オゾン層保護のための特定フロン全廃への政治過程はそのように知が力となり、組織よりネットワークが政策推進力となる時代の事例とされる。

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E(イー)コマース   E-Commerce=Electronic Commerce

 電子商取引とも訳されているが、商業のみでなく、Eメールやインターネットなど電子通信を利用した知的活動のすべてを含むので適切な訳語ではなく、経済をこえて知識が力となる時代のツールとしての重要性を見落とす可能性がある。Eコマースは、国際政治に関わる専門家やNGO(非政府組織)のネットワークと活動の専門性を飛躍的に向上させることから今後の国際社会における競争力の根幹を左右する。OECD(経済協力開発機構)の優先課題のひとつにもなっているが、日本は米国に次ぐ経済規模の国でありながら、電脳ネットワークの利用については遅れ、人口当たりのドメイン数は世界44位。

 Eコマースの特質は、情報交換の高速性と直接性にあり、情報平等性が促進される一方で、コンピュータ識字率の格差などが都市と農村、男女間、年齢層などで深刻化する可能性もあり、とりわけ途上国に関しては、電脳時代の経済協力のあり方の検討が急務である。

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人間の安全保障   human security

 従来、安全保障とは国家安全保障(nationalsecurity)を当然のように意味したが、国家という単位では一応は安全保障が実現されても、その国のなかの個々の人間が、内戦、犯罪、飢餓、対人地雷、環境破壊など生存にかかわる脅威、けがや病気など身体的なもの、失業や貧困など経済的なもの、差別や抑圧など社会的政治的なものなどのさまざまな暴力に脅かされている状況があることを重視し、国家のみでなく人間のレベルでの安全の達成に焦点を当てた課題の設定が必要という認識から生まれた概念。UNEP(国連開発計画)の1994年の『人間開発報告書』がこれを開発の新たなパラダイムとして提示したことを契機に広まり、1995年の「社会開発に向けての世界サミット」(社会開発サミット)を貫く概念となった。

 現代の脅威には、麻薬、エイズ、テロリズム、環境破壊、核拡散、経済危機など国家や国境をこえ、個々の人間に直接に襲いかかるものが多く、このような脅威を国際社会として総意をあげて予防し、安全が脅かされないように対応力と協力を高めていく必要があるが、そのように脅威を予想して早期の調査、予防、警戒を行い、堅実な対応力ゆえに脅威を最小化することを、戦争の場合の予防外交と似た意味で予防開発とも呼び、またそのようなアプローチをガバナンス・アプローチと呼ぶ。また脅威から自らを守り、人間としての能力と各種の問題対応力を十分に発揮する機会を獲得することを人間開発と呼ぶ。人間の安全保障を実現していくには、国際社会レベルのグローバル・ガバナンスと、人間レベルの人間開発が一対のものとして推進されなければないという理解があり、国家レベルでのみ考えがちであった従来の意識をこえようとする動きが冷戦後の国際社会には見え始めている。

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グローバル・ガバナンス   global governance

 ガバナンスは従来は国家の機能として語られるものであったが、貧困、飢餓、環境破壊、人権侵害、難民増加、核拡散など地球的規模の諸問題(グローバル・プロブレマティーク)に国家が十分に対応できない場合、国際社会がそれを放置するのではなく、正義を達成するべきであるという認識に基づき、グローバルすなわち地球的規模でのガバナンスの必要性が唱えられるようになった。その理念を明確に提示したスウェーデン主導のグローバル・ガバナンス委員会の1995年の報告書はそれを「地球社会の統治、管理運営、自治自治の意味を含み、個人と組織、私と公とが、共通の問題に取り組む多くの方法の集まりであり、そのプロセスは利害調整的かつ協力的である」と定義している。「新たな世界秩序を国家レベルのみで考えるのではなく、むしろ市民の安全と福祉、市民社会の構成と安定に主眼をおいて模索し従来の国家主権論を離れ、大幅に市民社会の役割をとりいれるのが特徴的」(緒方貞子による同報告書の日本語版の序文)である。人間社会として耐えがたい悲惨な状況の解決をもはや国家にのみ頼るのではなく、国境をこえて市民社会のさまざぁw)泙淵▲D拭次△垢覆錣糎朕諭キ餾鬱ヾ悄¬唄崛反イ覆匹眩輓呂魑鵑欧堂魴茲房茲蠢箸爐戮C箸垢觜佑ネC任△襦:ネ鹿仂w)w)斜ソ棉芭薯蜃蔗礦゚齠粛齒麗鴉瘡昭?頒兎就t關⊂このページのトップへ


コンストラクティビズム   constructivism

 国家間システムの中心構造は、物質的リアリズムではなく間主観性(経験的なだけでない、より高次 の主観性)であるとし、またアイデンティティーや選好は外生的な合理的選択によってではなく、間 主観的な社会的構造によって構成されるとする立場から、国際社会における国家など行為体の自己組 織的な資質や自己認識、共有観念などを重視して主体的な発展過程に注目する理論。起源は、主観か ら独立した外的実在の世界を認める科学的立場に対して、現実は観念や意識などによる能動的な構成 過程の結果であるとするカントなどによって代表された立場。

認識や主観は活動や経験を通じて形成 されるとし、存在を外部からの作用の客体としてではなく、プロアクティブな(能動性のある)もの としてとらえる。また人間や社会は自己の経験を秩序立てて解釈しようとすることから、人間の精神 や社会は継続的な自己組織性を発揮するが、それを助けて促進するアイデンティティーや間主観的な 社会シンボルが必要となり、またさまざまな経験や関係性の相互連関(connectedness)が絶え間なく 追求される複雑なプロセスとして自己組織化が進む。さらにそのようなプロセスは発展的であって、 絶え間なく新たな経験や現象との出合いにより変容し、またその変容過程は、異なる内容との遭遇に より自己組織化された状況が完全に消滅したり否定されたりするわけではなく、他方で新たなことと の遭遇を完全に否定するわけでもないという意味で、本質的には弁証法的であり、また弁証法的総合 による発展は永続的である。

国家を含む人間社会の存在をこのようにとらえると、経験は固有であることから、自己組織化とその 変容過程の固有性を重視し、グローバリゼーションの勢いにより普遍への圧力が高まる中で個々の国 家や社会の経路依存的(path-dependent)で固有の部分について、より肯定的に柔軟に評価できるよ うになる。グローバリゼーションの進む現代におけるA.ウェント(Alexander Wendt)らのこのような 理論活動は、18世紀における科学という普遍への急流の中のカントらの思想的機能に重なるところが あろう。

他方で、コンストラクティビズムはグローバリゼーションに抵抗する理論として位置付けられるべき ではなく、国家を単位とする国際関係から、個人を単位とする地球社会への道筋を理論的に提示する 力もこの理論は内包する。経験に基づく自己組織性はアイデンティティーの共有により促進されるが、 近代的自我に内在する他者との差異化の要求から、実は集合的アイデンティティーの形成は不完全と なり、その不完全性は個人が国家や社会など自らが帰属し形成していた構成(construction)ないし 構造(structure)からずれて、地球社会の非自己である部分と新たな関係性を形成し、自己の構成を 変容させていく絶え間ないプロセスを生み出すのである。それはグローバリゼーションの本質を支え る力学であると同時に、グローバリゼーションの中で自己が永続化するメカニズムとなる。ちなみに、 生命体においては、非自己に対応するアンテナをレセプター(受容体)と呼び、レセプターの機能に より生命体は免疫力を維持しているとされ、またレセプターの経験を新しい記憶にして新たな自己を 形成して生き延びる力の強いシステムをスーパーシステム(超システム)という。

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