『アメリカを幸福にし、世界を不幸にする不条理』カレン・ヴァン・ウォルフレン著』(ダイヤモンド社)
(2001年1月21日 日本経済新聞朝刊 掲載記事)
刺激的なタイトルの本だが、その勢いで「世界をその不条理から救えるのは日本なのに」と言えば本書の論旨そのものになり、「にもかかわらず日本は失われた90年代に埋没したまま」とさらに続ければ筆者の怒りと執筆動機を表現することになろう。
筆者はまず、人間社会に「ニュー・ストーリー(新しい物語)」が始まりつつあり、それはグローバリゼイションとコンピュータネットワークによるニュー・エコノミーから成ると指摘する。そのスピード感や情報アクセスの高まりにより、生活やビジネスは多様性に満ちた発展をするかに思えたが、そのストーリーは、まるでアメリカによりハイジャックされてしまったかのようだという。米国は宗教の世界的伝導にも似た方法で自らの基準を世界化しようとしているのであり、世界を一つの文明に統一する試みにも見えると警鐘を鳴らす。
日本は実は古くから、ニュー・エコノミーに特徴的な緊密な関係性や企業間ネットワークに長けていたのであり、仲間同士の高密度な情報化で成り立つ村社会=ネットワークを機能させてきた。見方によっては国際経済の趨勢は日本的方式に近い方向へと進化しているのに、日本は世界のことに無頓着で、コンピュータなど新技術の活用にも遅れたまま、と嘆く。さもなければ「日本人が世界の人々に助言できることが、一つや二つは必ず思いつく」のであり、日本がグローバル化することで、グローバリゼイションとはアメリカニゼーションではないという文明的多元性を明白にできるという。
また、米国は、民主主義の普及と一対の感覚でグローバリゼイションを推進しているが、グローバリゼイションの結果、世界各地の国民が自己決定力を維持できる範囲は縮小して民主主義が空疎になるという矛盾の指摘は圧巻である。民主主義とは人民による、人民のための政治であるが、グローバル経済の中心は一般市民より専門家や勝者であって、民主化とグローバル化を同時進行させるという幻想を冷笑する。