平和の配当[好況と軍拡]

2000年5月4日 朝日新聞 掲載記事

上智大学法学部教授 猪口邦子氏



 戦争が経済の上昇期に多発すると指摘し、古典の風格さえ備えてきた「戦争と平 和」(東京大学出版会)の著者、猪口邦子さんに、アジア地域が「平和の配当」に あずかる条件などを聞いた。  (編集委員 伊藤三郎)  

――アメリカ経済の長期繁栄と「平和の配当」の因果関係をどう見ますか。

 「直接的因果関係が明確にあります。冷戦中アメリカが軍事面で最も集中的に投 資したのが軍事衛星にからむ通信情報系の技術なんです。旧ソ連(現ロシア)国内 で大陸間弾道ミサイル(ICBM)を積んで移動するトラックを衛星から追尾する とか、その情報をどうネットワークに乗せるか、ですね。ところが冷戦が終わり、 軍事情報システムに余裕ができた。それを民需に開放して生まれたのがインターネ ットなんです。だから冷戦終結と米国のニューエコノミックスの繁栄とは直接の関 係があるんです」  

――冷戦終結直後という絶妙のタイミングで若い民主党政権が登場しました。  

 「そう、クリントン、ゴアという四十歳代の正副大統領が率いる政権が生まれた 。アメリカの若い指導者はそれぞれ自分が青春時代に抱えた価値観、あるいは問題 意識で仕事にかかる。日本の場合、若い人を登用するといっても、上に立つ年寄り に覚えめでたい人たちが抜てきされて指導者の意思を体現しようとする。つまり古 い価値観に乗った近代化というパラドックスです。これが日米の大きな違いですね 」  

――クリントン、ゴアと言えばいわゆるヒッピー世代ですね。  

 「そこなんですよ。ヒッピー世代の価値観とは、上からの命令によって動く縦社 会に対し、横のネットワークで反逆し、改革することにあった。その価値を体現す べく、光ケーブルによるネットワーク・システムの促進運動を推進した。その果実 がニューエコノミクスの繁栄であり、アメリカにとっての『平和の配当』というわ けです」  

――あなたの「戦争と平和」(一九八九年)には「平和の配当とは戦争なんだ」 と逆説的に書かれていますね。  

 「経済的余力のある国が武器を買う。経済成長率の高い所、つまり最近で言えば アジアですね。成長自体がそういう負の面を持ちやすい。アジア人は繁栄の糧をど う使うかをもっと考えなくてはいけません」  「欧州は近代五百年の愚行の歴史から何を学んだか。繁栄して経済的に余裕が出 来ると軍拡で武器が集積され、次の戦争の原動力となる。それを契機に経済は下降 局面に入る。そんなことを繰り返してきた、と言うのがコンドラチェフの仮説の意 味なんです」

■ロシアの経済学者コンドラチェフは、一九二五年に約五十年周期の景気循環の 波を指摘した。この仮説、「コンドラチェフの波」の大きな特徴は、技術革新の重 視と、それまで景気循環とは無関係に扱われていた「戦争」を関連づけた点にある 。長期不況局面の困難の中でこそ技術革新が進む、と説いた。■

――近年のアジアの軍拡、とりわけ台湾の経済発展と武器輸入の拡大という現実 を見るにつけて、「コンドラチェフの波」は不気味な響きを持ってきます。

 「アジアは一九九○年代に経済成長を続け、九七年にちょっと金融危機があった が、成長軌道に戻るとまた武器輸入を増やす。これでは欧州が繰り返した『愚行の 歴史』の跡をたどることになりかねない。アジアはもっと自立の意識を強め、自己 責任で自分のことを考えなくてはいけません。武器商人というのは、いつの時代で も世界を見渡して買い手を探している。それを押さえるには先進諸国の『道義性』 も重要なカギを握っている。米国が唯一の超大国と言われる以上、それにふさわし い道義性を求められて当然でしょう。その道義性を実現する条件は、米国内の軍民 転換を進めることですね」  

■「平和の配当」を受け取るにはそれなりの条件と努力が必要だ。米国を例にと っても、約半世紀続いた米ソ冷戦の終結という歴史的転機を、時の政権が真正面か ら受け止め、国を挙げて改革に取り組むという決意がまずあったからこそ、軍民転 換という困難な課題に挑戦できた。■  

――米国は国防費削減のあおりで軍需産業の再編、リストラが進んだが、米国全 体の失業率はむしろ低下した。米国の軍需産業は日本の土建業にその存在が似てい て、国防費は   日本の公共事業費に当たると私は考えていますが。

 「理解しやすい仮説ですね。米国経済が急成長を続けたことが軍民転換を支え、 不況期なら武器輸出にドライブがかかるところが抑えられた。もちろん武器輸出で 軍需を補った面もあったでしょうが」  「米国の責任は別格に大きい。冷戦中の朝鮮戦争、ベトナム戦 争という二度の戦 争は米国の世界戦略のもとで起こったのだから、冷戦が終わった今 こそ二度と戦争 を起こさせないよう米国の政治的意思をはっきりと働かせてほし い」

■中国・台湾をはじめあちこちに軍事的緊張と紛争の火ダネを抱 え、「冷戦終結 」とは言い切れぬアジアは、そもそも平和の配当を受ける前提条件 がまだ整ってい ない。インターネットで生活が便利になり、米国経済の好況で対米 輸出が好調、と いうのは配当のおこぼれ程度。アジア地域が本格的な「平和の配 当」を手にするた めには、「確実な平和」を築くアジア自身の決意と努力が求められ る。■  


いのぐち・くにこ 一九五二年千葉県生まれ。米国の高校、上智 大で学んだ後、 八二年、米エール大で政治学博士。ハーバード大国際問題研究所客 員研究員、上智 大助教授をへて現職。著書に「ポスト覇権システムと日本の選択」 など。