「国際政治から見たヨーロッパ統合」

猪口 邦子 上智大学法学部教授

木村直司編集、『EUとドイツ語圏諸国』、
南窓社、19−34頁。


  • 欧州統合の経緯
  •  1950年にフランスの外相R・シューマンは、大陸ヨーロッパにおける戦後の和解と今後の不戦をいかに実現するかという問題を考えるなかで、当時の戦略資源の根幹を成した石炭と鉄鋼の、とりわけ旧西ドイツとの共同管理を実現することにより、事実上、戦争遂行を不可能にすることを狙ってシューマン=プランを発表した。この提案によりフランス、旧西ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクの6カ国から成る国際機関として欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が発足した。

    ECSC6カ国は1957年に欧州経済共同体(EEC)設立のためのローマ条約に調印し、共同市場の設立と経済政策の漸進的接近を目標に翌年、EECを発足させた。同時期に欧州原子力共同体(EURATOM)も設立された。1967年7月には、その3共同体を統合した欧州共同体(EC)が成立し、関税同盟や共通農業政策による域内産業と農業の保護・育成が重視された。 1979年からは欧州通貨制度(EMS)も試みられ、1986年2月には、ローマ条約の最初の大改正である単一欧州議定書(Single European Act)が採択された。これにより、人・物・サービス・資本の自由移動が保障され、93年1月には単一市場がほぼ完成した。1992年2月に調印されたマーストリヒト条約(欧州連合条約)により、新たに外交・安全保障、経済・通貨、社会の三分野での統合がすすめられることになり、93年11月、同条約の発効とともに欧州連合へと名称が変更された。しかしながら通貨統合に関する困難性に直面し、1997年には同条約を改定してアムステルダム条約を締結し、意思決定に多数決制を導入して、多段階統合(過半数を条件として条件を満たした国から統合をすすめる)への道を拓き、九九年1月から、ユーロを参加国の正式通貨とする通貨統合に踏み切った。

    加盟国の拡大に関しては、73年にはイギリス、デンマーク、アイルランドの三カ国が加盟し、その後、81年にギリシャが、86年1月にスペインとポルトガルが、そして95年1月からはフィンランド、スウェーデン、オーストリアの三カ国が加盟し、EUは15カ国から構成されることになった。通貨統合に参加しているのは英国、ギリシャ、スウェーデン、デンマークを除く11か国である。不参加4カ国の立場はさまざまだが、英国はEMU(欧州経済通貨同盟)は有益であっても大陸諸国との景気循環のずれなどの理由から参加の態勢が整っていないとし、次期総選挙後(任期中の解散がなければ2002年)に参加の是非と問う国民投票を実施する可能性があるとしている。ギリシャは4カ国中最も前向きで、2001年からの参加を念頭に基準の達成を目指して経済改革を実施しつつあり、ERM2(自国通貨とユーロを一定の範囲で連動させる為替相場メカニズム)にも1999年1月から参加している。スウェーデンは総選挙と国民投票により決定するとしており、デンマークも1999年1月からERM2に参加しつつ、国内世論の動向を見ている。

     

    1. 欧州統合の政治的起源と含意

     このように欧州統合はさまざまな困難性をかかえつつも分野的にも機能的にも拡充を遂げてきた。その背景と生成過程にはいくつかの暗黙の強い政治的な了解事項が存在していたとみることができる。

     第一に、一般に経済統合と見られる欧州統合の起源は、経済発展のためというよりは、両世界大戦への反省とそのような武力対決の根絶を欧州において実現するという政治目的にあり、第二次大戦の問題から直接的に派生している。

    総合の起源は、歴史的な和解と将来的な不戦への動機にこそあり、ただし手段は思想的、精神的というより、石炭・鉄鋼の共同管理や関税同盟に始まる経済的手段という実践的な手法が用いられることになる。このことは統合運動の成否について二つのことを示唆しているように思われる。

    まず、平和思想の長い歴史を有している場合には、思想のみでは平和は達成できないことが広く了解されることになり、よりプラグマティクな手法への発想が現実の政治過程に反映されやすい。欧州は古くはC・サン・ピエールやA・サン・シモンの平和論から、20世紀のR・クーデンホーフカレルギーの汎ヨーロッパ思想など平和思想の豊かな系譜を有しているが、欧州に始まった両大戦の果てにおいてはそのような平和思想を踏まえたとしても手段は平和主義に依存せずに、きわめて現実的で実践的な立場から、戦争資源の主要対立国による共同管理という方法論によって平和を達成することを画策することになった。 上述のとおり、ECSCの眼目は大陸ヨーロッパにおける両大戦の二大対立勢力=独仏が主要参加国となる国際機関の設置により主要戦争資源である石炭と鉄鋼の共同管理を行って実際的に両国間での戦争の再発を不可能にすることであった。平和思想の歴史と影響が浅い場合には平和達成への思想的手段への依存と期待が高くなりすぎてこの種の現実的手段への工夫のプライオリタイジングがなされないこともあろう。もうひとつの点は、経済統合は経済主権の妥協を余儀なくする面があることから元来困難なものであり、経済目的のみでは達成されにくく、平和の達成を初期のないし隠れた主目的とするケースの方が長期にわたって推進されやすいという点である。因みに、途上国では経済統合の大半が不成功に終わったのに対して、EUのような制度重視型ではないとしても発展的に継続しているASEAN(東南アジア諸国連合)は、帝国主義の時代から冷戦期にいたるまで大国の利害の戦場となったインドシナ地域等の不戦を暗黙の最大の目的としている。経済統合が主権と内政に与える重大な圧力は、戦争に引き裂かれた地域での恒久平和の達成という安全保障上の圧倒的なプライオリティーの存在するときのみ実際には許容され得るというのが従来の事例の示唆するところであり、経済統合の国際政治的含意は大きい。

    第二の政治的含意も戦争と平和の問題に直接的にかかわる内容である。欧州統合はフランスとドイツの和解を最大の狙いとしていたが、両国は最大の対立勢力と同時に主要な戦勝国と敗戦国であった。組織や機関の基本価値や目的がその公式の文書や宣言より予算配分にこそ正確に表明されていることは一般によくあることだが、ECの予算の最大カテゴリーは、その主要政策の一つである共通農業政策(CAP)のためのものであり、7割前後に及ぶことも少なくなかった。EC諸国は、ウルグアイ・ラウンド農業合意によって初めて大きな変更が加えられるまでは、長年CAPに基づいて域内農業を保護するために、域内農産物価格支持(最低価格=介入価格)、輸入農産物価格の国境調整(可変輸入課徴金)、余剰農産物のダンピング輸出(輸出補助金)を組み合わせた農業保護制度を実施し、それを輸入課徴金と大掛かりな財政措置によりファイナンスしてきた。 原加盟国中最大規模の農業国で、この制度の最大の受益者はフランスであり、欧州統合の少なくとも初期の制度設計には、戦勝国フランスの農民を敗戦国ドイツの工業力で守る仕組みが組み込まれていたと見ることができよう。それは暗黙の洗練されたある種の戦後賠償としての政治性を有し、またドイツがこの制度に協力する限りにおいてやがて欧州政治における正統性の完全な回復が約束されることも暗黙の合意にほかならない。ドイツ連邦銀行主導の通貨統合がフランスの合意を得て実現し、1999年1月にユーロ導入が決行されたことはこの長い政治プロセスがついに節目をむかえドイツの国際政治への完全復帰がなされたことを告げたのであり、早くもドイツ空軍がNATO(北大西洋条約機構)の域外活動としてのコソボ空爆に補助的にせよ参画したのはそれから約3ヶ月後のことである。

    欧州統合の第三の政治的起源と今日にもつながる暗黙の政治的含意は、異種の膨張に対する警戒と阻止であろう。異種の膨張とは、かつてはソビエト共産主義の浸潤であり、今日ではアジアの経済発展であるのかもしれない。もともとEECの設立は米ソ冷戦の最中に米国の了解の下に行われたが、経済統合は最大の輸出競争力を誇る米国経済に対する差別的で排他的な大陸ヨーロッパの市場形成を意味することから、米国は第二次世界大戦終結時に想定した米国工業力の身近な輸出先としての欧州の位置付けをこれにより政治的に断念することになる。対共産主義封じ込め政策の前線地帯である西欧の経済復興と繁栄は共産主義の西側浸潤を食い止める根本条件であり、米国にとってはどのような代価においても実現する必要があった。また欧州の観点から見れば、そのような国際政治的要素に加え、欧州の対立概念としての古くはオリエント専制、現代では強圧的な非民主制という異種イメージの先鋭化によってヨーロッパとは何かという集合的アイデンティティーを強化する力学が発生して統合が勢いづたと言えよう。

    思えばヨーロッパを統合するという発想は現代ヨーロッパに固有のものではなく、歴史を通じてさまざまな野望と希望をもたらしてきた。しかし、神聖ローマ帝国の宗教性も、婚姻関係で覇権の広域化を狙うハプスブルク家の智謀も、B・ナポレオンの兵力もA・ヒトラーの軍事力も、そしてR・クーデンホーフカレルギーの思想性も、どれも最終的には実現しえなかった欧州統合が、ついに勢いづくのは、異種の台頭がリアルになった冷戦期とアジア経済隆盛期である。異種に対して負けることはできないという意識とそれによる集合的アイデンティティーの強化は、何世紀にもわたって不可能であったことを可能にしつつある。

     

    1. 欧州における自己組織性とコレクティブ・アイデンティティー形成

     欧州とは何かという古くからの問いは、欧州統合を推進する局面においては一層重大である。欧州の共通の知的政治的基盤としてはキリスト教や民主制をまずは挙げる場合が多いかもしれないが、このようにポジティブリストで要素を論じることはもともと多様性に富んでいたヨーロッパ前近代についても、またその中心性ゆえに多様性を増した近・現代においても不適切かもしれない。実際に欧州の自己概念は異教徒との対峙など異種との遭遇のなかで形成されてきた部分が多いようであり、コンストラクティビズムの観点を適用すれば非自己の認知によって欧州に関する間主観性が形成されてきたと言えよう。

    異種との相克による自己・非自己の認識の原型はフン族等の襲来に関する伝承やオスマントルコとの対決の歴史的記憶により形成されたのかもしれない。前近代においては機動性や破壊力など戦闘の残忍性を増し得る技術水準が非ヨーロッパ世界の方が少なくとも部分的には高かったために異質で残忍な専制という意識の刷り込みがなされ、欧州世界が同様の傾向を深部に内包していたとしても非自己のイメージの結晶化によってそれとは異なる自己を形成し追及する内的動機が発生したと見ることもできよう。それがやがて近代における民主制や人権思想の発展への一つの社会心理的な背景となるとするならば、欧州民主主義の起源はナポレオン戦争よりずっと遡って考察する必要があろう。

    いずれにしても近代においてはヨーロッパとは何かという問いへの答えより、何ではないのかという問いへの答えの方が明白化していく。それはオリエンタル・ディスポティズムとその同族のようなものではない世界であり、それとの関連性のある文化的、経済的要素ではないものによってコンストラクトされているものとして認識されていく。文化的な部分については非ヨーロッパ世界の多様性に概念的に対処できないままエスニックという表現により非自己を認識するようになり、従って、欧州とはエスニックではない世界という自己概念が成立していく。

    経済的な部分についてはさまざまな否定形があるが、征服王朝のヒエラルヒーにおける物流は市場より贈与の体系に基づくという理解から、市場を経ない交換や授受を否定する近代市場経済へのアイデンティティーが形成され、この文脈でヨーロッパではないものという意味で最近発明された用語の一例は1997年夏に始まるアジア経済危機の欧米での解説用語としてのクローニー・キャピタリズム(crony capitalism=同族資本主義)であろう。アングロサクソン流の正統派資本主義とは、まずはアジア的クローニー・キャピタリズムではない資本主義のことと理解される。このほかK・マルクスのいうライス・スタンダード(米を食べる地域に共通する貧困)という観念から、ヨーロッパとは米は食べない豊かな世界として理解され、異教徒との接点にたった一部イベリア地域にのみ米料理の伝統があると見る。スペイン・ポルトガルのECへの新規加盟が極端に難航した背景には、フランスと競合する農業国で、経済水準が相対的に低く民主化の歴史が浅いということと合わせてヨーロッパとは何か、またどこまでかという問題を先鋭化するケースであったからにほかならない。

    コンストラクティビズムは、主観から独立した外的実在の世界を認める科学的立場に対して、現実は観念や意識などによる能動的な構成過程の結果であるとするI・カントなどによって代表された立場を起源とする人間社会の見方であり、認識や主観は活動や経験を通じて形成されることから、存在をプロアクティブな(能動性のある)ものとして捉える。 また人間や社会は自己の経験を秩序だって解釈しようとすることから、人間の精神や社会は継続的な自己組織性を発揮するが、それを助けて促進するアイデンティティーや間主観的な社会シンボルが必要となり、またさまざまな経験や関係性の相互連関(connectedness)が絶え間なく追求される複雑なプロセスとして自己組織化が進む。さらにそのようなプロセスは発展的であって、絶え間なく新たな経験や異なる内容との遭遇により変容していく。

    このような観点は欧州統合のプロセスを理解する上で有効であり、統合過程のなかでは自己の経験を秩序だって解釈したり、その相互関連を明確化したりしようとする自己組織性がひときわ強くなるようである。そのためにはさまざまな間主観性の形成と蓄積が必要となるが、その過程で民主化の水準やその指標ともなる各種の社会政策の立場がアイデンティティーの基盤となったりするようであり、また過去の特定分野での成功経験も強力な自己組織性の要素となるため、経済統合においては成果のでる分野から段階的に着手するのが効果的であって関税同盟機能から始まるEUの経験はその方法論を踏まえている。自己組織性が可能となると絶え間ないプロアクティブな発展的ダイナミズムが時間の経過のなかで展開し、経済統合の最終段階としての通貨統合、困難性の高いとされる社会政策の統合、さらに外交安全保障政策の共通化など当初は不可能とされた内容にも取り組める段階となった。

     

    1. 欧州連合の国際的影響

     欧州連合は国境を踏み出た今までのどのような社会組織とも異なり、国際機関、国家連合、連邦制度等の従来の枠組みには当てはまらず、またその影響も計り知れないが、冷戦後の国際社会の傾向も念頭におきながらその国際的影響の可能性について論じてみよう。

     第一に、欧州統合は一貫して、米国による一元的国際秩序への抵抗を示してきた機能を内包している。1970年代に三極(トライラテラル)体制(米・欧・日)という表現が西側経済関係について用いられたが、このような複数勢力が台頭し拮抗するという国際政治の図式の契機となったのはやはりECの存在感であり、日本の力量のみでは不可能であったと思われる。同様に冷戦後においてはユーロ導入によりドル一極体制の暴走を食い止める機能が期待され、その結果、たとえばアジア地域では外貨準備や貿易などでドル、ユーロ、円の3通貨建ての方向性が見られるようになることが期待されるようになるなど、国際経済のドル単独体制と国際政治の米国一極体制に是正をもたらすという影響の意味は計り知れない。

     第二に、欧州統合には初期から高度な政治的含意が込められていたが、冷戦後においても民主化推進という観点からの影響を広く国際社会に及ぼしている。直接的には旧東欧地域に対して、民主化の進展の度合いこそが、財政赤字、対外債務、失業率、成長率等のマクロ経済のファンダメンタルスよりEU新規加盟の可能性を判断する基準となることを示すことで、冷戦後の東欧の民主化の安定的発展を促進しつつあり、米国の民主化支援策等と相まって広く民主化への契機をもたらしている。

     第三に、人の移動、福祉、平等、社会正義、教育、環境、少数民族など各種の分野の社会政策について一国ではなく地域全体という広域で高い水準を目指すことにより、冷戦後の国際社会に広く人間社会の在り方についての地平を示していく効果を発揮するであろう。一国の先端的な立場はその国の特殊性としてしかとらえられないこともあろうが、経済水準や社会的伝統が多様であるリージョン全体での努力はより文明的なインパクトを国際社会にもたらすであろう。

     第4に、EUの発展は一般に一国単位では実現しにくい科学技術の突破力をもたらすであろう。今日の科学技術の最前線はどの一国の力量でも単独突破は至難とされる場合が多く、経済統合は結果的には21世紀科学の発展に必要な知識層の規模とその包括的動員を日常的に可能にすることになり、先端科学の地域としてのヨーロッパの姿が現出しつつある。唯一の超大国米国と並ぶ先端技術の開発を進めることにより、すでに世界の民需・軍需のいずれにおいても先端分野のルール・メーキングに影響力を発揮している。またEUの人口規模は米国を含めどの一先進国より大きいために、デファクトな標準化機能をその巨大市場において発揮していく立場にある。またその巨額な貿易規模により貿易レジームの制度設計や関連する商習慣とルールに決定的な影響力をもたらしつつある。

     第5に、EUは、地域主義=リージョナリズムの新たな可能性を象徴することで、グローバリゼイションの激変緩和的な選択肢としてのリージョナリズムの在り方を示すであろう。戦間期のブロック化のような要塞型閉鎖系ではないリージョナリズムのモデルとして内発的な自己発展への機会確保という観点から、ナショナリズムとグローバリゼイションの間の最適解を模索する諸国家に影響力を増すであろう。

     第六に、EUでは、その社会政策の統合プロセスにおいて各種の政策分野で主としてEU地域のために活発な国際的活動を展開するNGO(非政府機関)が発展する土壌が生まれ、米国系のNGOとの競争と協力を展開しながら国際的な存在へと発展するものも多く育まれた。今後は広く第三世界での貧困対策等経済政策との接点も含め社会政策全般にわたり多大な影響力を発揮していくことが考えられ、EU諸国政府もNGOを外交の一つのツールとして活用していく場面も増大しつつある。近年、国連内外の国際会議等においては主要なNGOが主権国家とほぼ同等の発言機会を確保できる場合も少なくなく、とりわけ欧州の小国は、小国政府としての限界にNGOも参加という形態を変えた二重参加権を得るような形で対応している面も否めない。こうして国際的に主権国家と肩を並べて情報収集力を獲得し、さらに電子情報ネットワークで世界中の仲間とアドボカシー(問題提起と主張)を同時進行させる欧米系NGOの勢いは、たとえば政府開発援助(ODA)の分野で最大供与国である日本の国際的影響力を凌駕するほどにまで発展するなど、看過できない水準になりつつある。

     第七に、そして最も深い国際社会の特徴に作用する形で、EUの統合は情報化と英語のリンガフランカ化をもたらすであろう。EUでは、その地理的拡大にともなう広域化とその機能的拡大にともなう情報処理規模の膨大化により、サイバー情報通信の普及が猛烈な勢いで進みつつある。このことは今日、たとえば人口規模に対するインターネット利用者の国際順位の上位が欧州諸国に占められていることにも現れており、行政の文書、通信、サービス等におけるコンピュータ利用は日本など単一の国家を単位とする場合と比べると格段と進んでいる。またコンピュータによる情報通信機能の利用は通信言語としての共通言語の利用を促進し、コンピュータの世界では今日、初期にハード・ソフト両面での開発突破力を発揮した米国の公用語が共通言語である。こうして英語のリンガフランカ化が進みつつあるが、ヨーロッパには前近代において共通の学術通信言語としてラテン語を共有した歴史があり、その地域においてポスト近代における新共通言語の受け入れが、英語を公用語とする加盟国は一国しかないにもかかわらず進んだことは偶然の一致ではないのかもしれない。

     このこととの関連で、最後に、欧州統合の未来について一般に看過されがちな重要な側面を指摘しておきたい。こうして英語をリンガフランカとする21世紀世界において、いずれも豊かな独自の文化性を有するEU加盟国にとって、固有文化の維持と発展は深く相互に共通する課題となろう。文化の固有性を超克して統合を推進するという認識を掲げた経済統合の果てで、EU加盟国は相互に共通する真の挑戦は固有文化の保持であることに気づくという逆説に出会うであろう。先の大戦での主要戦勝国と主要敗戦国であるフランスとドイツが、固有文化の発展という使命を、グローバリゼイションと英語のリンガフランカ化の時代における共通の課題として相互に認識して共闘関係に入るとき、戦略資源の主要対立国同士の共通管理という発想から始まったヨーロッパ統合は、万人の予想を超えた平和と恒久性を獲得していくであろう。そしてそのスタンスは、グローバリゼイション下で固有文化の絶滅を防ぎたいと思う世界の諸民族に深い作用を及ぼすであろう。(了)

     

     

     

     

     

     

     

     

     第七に、ラテン語、英語

     

     

     

    東欧の民主化と民主化メンバーからといる込み