フォーブス日本版04年3月号掲載 / 連載エッセイ「成功する国際交渉」第3回
3年12月26日。外務本省、大臣室。川口順子外務大臣に、日本が国連総会に毎年提出してきた核廃絶決議が、03年は空前の規模の支持票を得たことを担当大使として報告する。大臣は164票という票数を空で覚えていらして、私を感激させた。
「大臣のために、がんばりました」その一言を伝える日がついに来たと思う。
竹内行夫事務次官と天野之弥軍備管理・科学審議官(軍科審)の指導下で起案され、小泉純一郎総理大臣のご了承も得て国際交渉に付された核廃絶決議案は、例年にない強い内容を盛り込んだこともあり、何度か票崩れを起こしそうになったが、最後には逆に史上最高の支持票を世界から得た。
被爆国の主張が国連議場で明白なメインストリーム化を遂げたのである。
02年は、核兵器を有する国連常任理事国五か国(米英仏露中)の過半数の支持を含む圧倒的な支持票を得ることを目標とし達成したが、昨年はその上で、核拡散疑惑の広がりを背景に核廃絶への支持票数を極大化する必要があった。
核兵器を製造し得る国の一部が反対ないし棄権票を投じ続け、また一部の諸国が独自の決議案を掲げて被爆国の案には棄権するという非協力的な行動を取り続けるが、そのような中で日本の決議案が世界で傑出した支持を受け、かつ毎年その票数を伸ばしていくことが、核拡散と核軍拡に対抗する国連としての意思を総合することになる。
「立派な成果です。ありがとう」。大臣の喜びとねぎらいの言葉に接しながら、難局の多かった長期戦の日々を思う。
「核軍縮は、NIPPONブランドです。日本の川口大臣こそが世界の軍縮不拡散の旗手でいらっしゃり、そのために現場でがんばってきました」。燦々と陽光射す総司令部たる大臣室で、外交前線から舞い戻り、大臣のほほえみを得る水準の報告をする日のために、外交戦略はあると思う。
この決議案は、核兵器の原材料となる兵器用核分裂性物質の生産禁止条約(カットオフ条約)の交渉や生産モラトリアム等、次なる核軍縮のステップを明示している。初夏の案文作成に始まり、秋の国連総会第一委員会(軍縮・安全保障)の議を経て、12月の国連総会で最終結果が出るまでの全課程の詳細な段取りを、初期段階で自分の戦略帳に書き出してみる。国際交渉では予期しない問題も生じるが、それはあらかじめ根本戦略を考え抜かない理由にはならない。
■戦略帳とスカーフ
「行動する大使ノート(我が方決議案が成功するために)」と、自分の決意を込めて題した赤い表紙の戦略帳を、最終結果を歓迎する高島肇久外務報道官談話の公電に接する日まで、手放したことはない。成功する国際交渉の起点は過去のデータの冷静な分析であり、私はその過程で外交的に余裕のない小国に無投票国が多いことに気づいた。そこで小国への手厚いアプローチを、03年の優先戦略として位置づけた。
本省側でオペレーションを指揮する小笠原一郎軍縮課長が世界各国の日本大使館に支持要請の訓令を大臣名で打つころ、私はニューヨークの国連日本政府代表部から小国へのピンポイントの働きかけを、戦略帳をベースに系統的に行っていった。太平洋島嶼諸国やアフリカ内陸等の小国に個別に丁寧に連絡を入れると、「日本大使自らの御連絡ですか。何とすごい!」という言葉が戻ってくる。
まず広島と長崎の悲劇に触れ、日本国民の悲願をこの決議案を支持することによって共有してくれるよう頼む。間髪を入れずに決議案の要旨を説明し、一息ついてから各条文の詳細説明をしてよいかを尋ねる。熱心に聞き入ってくれない国はない。
先方は支持への積極的な関心を示しつつも、政府全体で検討する必要がある等々の理由で即答はしない。後日、YESの答えをもらうまで何度となく連絡を入れる。共にジュネーブからニューヨーク入りしてくれた小川和也公使ほか軍縮代表部の館員と、このオペレーションを来る日も来る日も続ける。体力と情熱が無限であるかのような錯覚をもってしか遂行できない多国間外交のメソッドである。
生活面でも詳細な注意を払う。まず、声は外交の生命線であり、のどを冷やさないことが肝心。しかしタートルネックはインフォーマルな印象となるので身につけず、執務室に戻ると必ずスカーフを巻く。柔らかい絹シフォンがぴったりとのどを保護する最適素材だ。冷やした飲み物は避け、レセプションでは赤ワインのみを手に持つ。面談協議のときの装いは、先方に対する要請側の敬意の表現となるので、完璧にアイロンのかかった格調あるスーツとハイヒールのエレガンスを心がける。協議にはその決議案のみを持参し、何かのついでにではなく単一の重大な目的で会っていることを印象づける。
■ブリリアントな答え
交渉現場が順調に推移することもあれば、苦戦からの出口が見えなくなることもある。大使として大事なのは、交渉過程で問題が発生したとき、主管局長の現地入りの必要性を正確に判断する能力かもしれない。
中盤のある日、私はついに天野軍科審に現地入りを願い出た。対応を間違えば地すべり的な票崩れが懸念され、その判断を下すのは主管局長の権能に思えたからである。
会談は30分で終わった。天野軍科審は答えを用意していたが、相手側の出方に確信がなかったのかもしれない。思い切って、「軍科審、それはブリリアントなお答えに違いありません」。私が会談中に発したのは小声でのその一言のみであったが、軍科審はそれを境に自信に満ちた舌鋒で相手を一気呵成に説き伏せてくれた。
国際交渉の現場は、最後にはたった一人の人間が背負う孤独で重圧に満ちたものである。ゆえに国際交渉が成功するためにはモラル・サポートが必要であり、本省が私にずっと与えてきた精神的支援を、本省サイドに少しは恩返しできるようになりたいといつも思う。
(フォーブス日本版04年3月号掲載)