フォーブス日本版04年4月号掲載 / 連載エッセイ「成功する国際交渉」第4回
学業から転身し、外交という新たな職域で限られた時間内に国際交渉に成功していくためにはどうしたらよいか。2年近く前にジュネーブに着任し、その不可能にも思えた課題について考え込んだ末、集中力をもって人間関係を生かすよう心がけることにした。
研究者以前の自分がどのようであったかに思いをはせると、少女時代にはチームで物事を進めたり、助け合う友人の輪を作っていくのが得意であったことを思い出した。
外交界では実に多くの人に出会うが、漠然とではなく、本を読む集中力にも似た心構えでさまざまな出会いをとえることとしそのような気構えで生きていると、必ずまたそのような集中力ある支援に恵まれていくので不思議だ。
世界では毎年、自動拳銃や携帯用ミサイル等の小型武器で50万人もが犠牲となっている。
小型武器はまぎれもなく戦争関連死の最大の兵器範疇であることから、軍縮の優先課題にほかならない。国連で小型武器軍縮の会議の議長に立候補し、その職責を成功裡に全うせよとの命を本省より受けたとき、国連事務局に知り合いもない中、いかに全加盟国を対象とするような大規模な軍縮会議の準備を取り進めていくべきか考え悩み、あるとき、国連人道問題担当事務次長を務めていた大島賢三・現豪州大使がジュネーブに立ち寄ってくれたので率直に相談してみた。
何か月もの後、出張先のアメリカで昼食でもいっしょにというとき、大島賢三事務次長は「きっとこの人が助けてくれるよ」とアナン国連事務総長直下のリザ官房長を連れてきてくれた。面会予約すら簡単にはとれない要人だ。
思わず、どうして可能であったかを尋ねると、「ジュネーブで相談を受けて以来、このランチに官房長になんとしても来てもらえるよう、ずっと狙いを外さないできた」。人間関係での集中力について教えられる思いであった。
■メインストリーム化
3人で2時間、小型武器軍縮のことのみ、話し合った。私にとって分水嶺となる2時間に思え、快活にかつ細心の注意と集中力をもってその2時間を過ごした。世界各地で紛争後も末永く続く小型武器の脅威について説明し、小型武器軍縮の世界認識と取り組みを強化する国際会議はいかにあるべきかを問うた。官房長は物静かに聞き、共感し、助言し、国連事務局の全力の支持を約してくれた。
それから約1年後の昨年の夏、小型武器軍縮の実施に関する初の国連会議が開催され、政治権力に直接にかかわる兵器範疇を扱うだけに難題が津波のように押し寄せたが、議長としては一か国も取り残さない全会一致原則を貫き、国連全加盟国を包含する軍縮の地平を示す議長総括を添付した報告書の採択に成功した。
長い準備期間を含むその全プロセスにおいて、困ったときの最後のよりどころは常に官房長であり、小型武器問題が世界的にメインストリーム化を遂げていく勢いが生まれていった。
国連多国間主義の復活を見たとの評価が相次いで議長にも国連事務局にも寄せられる中、その後の国連総会の関連委員会では、小型武器問題についての明確な認識の強化が各国政府から報告された。
日本政府サイドでは、ピンポイントの強力な支援を原口幸市国連大使が差し伸べてくれた。議長に立候補したころ、原口大使が主催する大使公邸での夕食会にて各国政府代表にブリーフィングを行う機会のインパクトは大きく、そこに招かれた諸国は、私が難局を乗り切らなければならない場面では、いつしか必ず私の隣にいてくれるようになった。会議が無事に終わってから約半年後、今年2月初旬、原口大使は久しぶりにニューヨークを訪れた私のために各国の軍縮専門家を招いてのワーキング・ディナーを催して下さった。
しばらくぶりに訪れた国連では、小型武器軍縮が世界的なアジェンダとなっていることに驚くばかりであった。その理由の一つは、先般、アナン事務総長が設置した国際社会の新たな脅威に対処するためのハイレベル・パネルへの勧告の優先的分野に小型武器軍縮が含まれたからのようである。原口大使公邸には、その後も変わらぬ暖かさで私に助言し続けてくれるリザ官房長の尽力でアナン事務総長が駆けつけ、ハイレベル・パネルへの軍縮コミュニティからのインプットについて私たちを励まして下さった。
気がつくとこうして集中力のある努力で結ばれた人間関係の輪で、小型武器軍縮の取り組みは驚くべき短期間の間に、一気に国際政治の中心舞台に位置づけられていった。
■大使夫人の心配り
その輪の中に、決して私が忘れ得ない女性が一人いる。原口克子大使夫人。激動する世界でさまざまなことが日本のイニシアティブで展開するようになる中にあって、外交官夫人は、人々がそれだけにいっそう必要としている心の温かさの原点にいるのかもしれない。克子夫人のさりげない、しかし確実な集中力と人間愛のある対応は、時間の経過の中で深いエネルギーを私に与えてくれた。
夫人同席とはならないワーキング・ディナーを大使が主催するときも、克子夫人は必ず出迎えてくれ、そこで交わしてくれる情感のある一言にはどんな外交官の巧みな話術も及ばない癒しと回復の人間的作用があることに気づく。
国際交渉に成功するには人間関係をはじめさまざまな実質内容への集中力が鍵となるが、なぜそのような過剰に多忙な生活に耐えられるのかとよく聞かれる。集中力を瞬時に高め、また瞬時に低下させることができるからかもしれない。
どんなに多忙でもテンションを瞬時に上げることができれば、テンションを低く維持して過ごす時間が多くなるので心身共に楽である。ではテンションを瞬時に高めることができる条件は何か。傷つくことも多い戦いの合間に、心のひだが常に修復され、癒されていることなのかもしれない。そしてそのような作用をもたらすもう一つの人間の輪に敏感であることなのかもしれない。
(フォーブス日本版04年4月号掲載)