フォーブス日本版04年5月号掲載 / 連載エッセイ「成功する国際交渉」第5回
国際交渉に成功するには、念入りな準備や場面設定に集中力が必要と論じてきたが、実際にはいずれも決定打にはならない。外交では、ビジネス同様に利得計算が渦巻く一方で、相手が説き伏されても不名誉ではないと思える論理を発見することが成功への秘訣となる。
それは込み入った論理学や哲学ではなく、自然な思考にのっとる場合が多いが、視点を変えて相手の立場で考え抜く、謎解きのようでもある。
■強いのは貴殿の方
昨年、小型武器軍縮の国連会議の議長に選任されたとき、準備段階で私の前に大きく立ちはだかったのは、全米ライフル協会等の銃器関連ロビーだ。かつて小型武器軍縮への取り組みはその妨害作用で大きな譲歩を余儀なくされた経緯がある。日本が議長国となった今次会合の失敗は許されないという強い思いから接触を繰り返し、説得を試みるが効果がない。先方は国連を疑い、多国間会議を嫌い、議長に圧力をかけて国連プロセスを骨抜きにしようとする。
他方で私は、毎年50万人の戦争関連死の手段となる兵器の軍縮について世界への責任を負っている。あらゆる資料を研究したが、最後には簡素な論理に行き着き、最終折衝と思われる場面では、覚悟を決めて居並ぶ強靭な男性陣と一人で対峙した。
「皆さんは私と対峙する必要はありません。対峙し対決するというのは、同等の力を有する者どうしのことですが、皆さんは私を簡単につぶすことができます。国連議長は強いと思われがちですが、本当に強いのはどちらですか? 貴殿は私の何十倍も強い」
相手の不意を突くことになった。
「強い皆さんは、いかに相手をつぶすかではなく、強者らしく、いかに助けるかを考えてください。皆さんの持っている力のうち、国連に役立つ能力とは何か、私の主宰する会議で皆さんは何を貢献できるかを考えください。その答えを発表する機会を議場で設けてあげます。全世界が見ているので、強者ならではのりっぱな貢献策を発表してください」
ゲームが切り替わった。私が設けた本会議中のNGOセッションで、人道主義団体に交じって彼らは貢献策を発表することになった。
違法兵器を判別するマーキング(刻印)のためのハイテク技術を無償で希望国に提供するという内容で、議場はその団体の変貌振りに驚き、やがて加盟国は拍手を送った。
■受け止め合う
小型武器会議が終わって一息つくと、今度は国連総会で日本が掲げる核廃絶決議案の調整と採択を担当した。最近の核問題を懸念して反核への強い条項を盛り込んだことから、ある核兵器国が支持できないと言う。
そもそも核兵器保有国から核廃絶決議案への支持を取り付けるのは至難だが、わが外務本省は、案文の維持とその各兵器国の支持票の確保を同時に求めている。
連日、先方の大使室を往訪して交渉を行うが、国防の本質に抵触するので受け入れがたいと言う。ついに私の国際交渉力も尽きたと何日も悩んだ果てに、相手が受け入れられないことをまずは受け止める、という論法に行き着く。
「核兵器保有国の国防の論理としてこの案文は受け入れがたいことは承知しました。普遍的な命題としては、受け入れられないと。他方でこれはどこかのだれかが書いたものではなく、被爆国の軍縮当局が50余年後の今日に至っても必死で世界に訴えようと起草した核廃絶決議案です。一般命題としては受け入れられなくても、被爆国が言うなら受け止めるという論法もあるでしょう」
しばらくの沈黙の後、大使は言った。
「ぎりぎりの論理。矛盾はあるが、本省に最後の請訓をしてみる」
国連議場。採択の日。その各兵器国は支持票を投じた。
「本件は、日本が提出したので、支持する」
その大使は投票理由説明で明言した。
■国家と愛と拉致問題
では、喫緊の拉致問題を解決する論理はどうか。拉致被害者5人が24年ぶりの帰国を果たした後、残留する子供ら被害者家族8人が日本に戻るのを1年半近くも認めない北朝鮮を説き伏せる論理はあるか。先方は、5人を平壌に戻す約束を日本は破ったと言い、日本は約束はなく、そもそも被害者を拉致した側へ戻す論理が人の世にあろうかという当然の立場を死守してきた。
日本は約束をしていなくても、先方はしたと思っている以上、約束より重要な価値が人間社会にはあることについて北朝鮮を諭す必要がある。約束より重要な価値とは何か。絶対に日本政府が拉致被者を手放さないのはなぜか。
それは一言で言えば、愛。政府の国民への、この5人への愛と責任感である。国民とは政府による絶対的な愛と責任の対象であり、近代国民国家とはそもそもそのような関係性において成立していることを諭さなければならない。
それでも約束違反と言うなら、許さない相手を取り違えていることを気付かせなければならない。拉致被害者や被害者家族が約束違反をしたわけではないのに最も苦しんでいるのは彼らであり、他国の政府への不満をなんら責任のない個人の苦しみに還元することは北朝鮮の名誉にかけて止めなければならない。約束問題の主体ではなく客体でしかない被害者家族全員の帰国を即時に無条件に認め、また残り10名の安否不明者の真相究明にも誠意を尽くし、政府間の約束問題は別次元のこととすべきである。
子供たちが永住帰国を希望するか否かの問題は、帰国さえすれば自動的に解消していく。なぜなら帰国によって国交正常化交渉が始まり、その地平に、日朝間で若い世代が自由に交流する日が訪れるからである。
(フォーブス日本版04年5月号掲載)