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フォーブス日本版04年6月号掲載 / 連載エッセイ「成功する国際交渉」第6回


コミュニティの大切さと心象風景



 ジュネーブの軍縮会議日本政府代表部の特命全権大使としての2年間の任務を終えて大学というコミュニティに戻った。2年前、外務省から赴任の依頼を受けた私を励まし、送り出してくれたコミュニティが、さまざまな発展を遂げつつも、同じ温かさをもって迎え入れてくれた。キャンパスでは法科大学院などのための瀟洒な研究棟の建設が進む。

温かいコミュニティ

 初登校日は、夕方から教授や学生たちとの親睦会となった。花吹雪の四谷キャンパス。2年もの休職で大学執行部にも同僚にも多大な負担をかけたにもかかわらず、学長は大学の発展にも寄与したと杯を交わしてくれた。
 「お帰りなさい。キャンパスがまた楽しくなります」
とメモをくれた同僚もいた。
 世界の交渉最前線で自分も驚くほど元気でありえたのは温かいルーツに恵まれていたからと改めて気づく。
 離任間近のある日、チューリッヒの在留法人の集まりで話す機会があった。参加者から、グローバリゼーションの時代に世界の舞台で精力的に活躍するための条件は何かと聞かれ、思わずつぶやいた答えは、「根において温かいコミュニティに深く守られていること」、であった。
 世界は広く、競争は熾烈で課題は無限。過酷な国際最前線でくじけずにパワフルな推進力を持続できるための究極の条件は、安定感と温かさのある内なるコミュニティに深く根ざしていると認識できることに思えてならない。
 同時に人は、新たな課題に挑戦する中で、新たなコミュニティに出会っていく。東京に戻ると、官邸ではただちに小泉純一郎総理と福田康夫官房長官が国務多忙であるにもかかわらず、ジュネーブからの国際政治報告に時間を割いてくださる。超党派の国際軍縮議員連盟(事務局長は鈴木恒夫議員)も帰朝報告を聞く総会を催し、河野洋平衆議院議長と中野寛成衆議院副議長が正副会長としてそろって長時間、熱心に私の軍縮外交論にかかわってくださった。
 外務省サイドも、主管の天野之弥軍備管理・科学審議官や小笠原一郎軍縮課長ら全員が集まった議員会館の会議室の真ん中で、在外任務に全力を投じる過程で恵まれた新たなコミュニティの温かさを感じる。世界のどこにいても、祖国の職業的コミュニティの心象風景に支えられて、人はタフ・ネゴシエーターになっていく。
 交渉現場においては、自らが安定した心象風景を有することが有利であるのと同時に、相手の心証風景を的確に分析し、それに基づく立論を行うことが効果的である。とりわけ、自分のアジェンダに他国を引き寄せるためには、相手の心象風景に基づく論法を編み出すことが外交努力の勘どころとなる。日本外交は、米国追随とよく批判されるが、米国の抱く心象風景から出発することによって、日本はむしろ、米国を世界認識に引き寄せることもできよう。
 昨年7月、国連でカラシニコフやMANPADS(携帯用地対空ミサイル)の非合法拡散を阻止する小型武器軍縮のための会議の議長職に就いた。当初は後ろ向きであった米国を説得するために、ジュネーブとワシントンにおいて国務省関係者と協議を重ねた際、9・11こそ彼らの絶対的な心象風景であることから出発し、小型武器軍縮こそ不可欠かつ決定的な対テロ作戦であると、論じた。

被害者としての米自画像

 テロの理由はさまざまでも小型武器は等しくテロの実行手段をなすものであり、またテロ組織が増殖するのは、その種の兵器で村民を脅しながら権力基盤を拡大していくからである。世界で保有されている小型武器の8割は非合法のものであり、それはテロをはじめ、さまざまな非合法世界の交差点において決定的な権力手段となっている。
 毎分一人のテンポで戦争関連死を世界各地でもたらす小型武器は武器による人間の悲劇の最大範疇をなすものであり、軍縮大使の任務は武器による人間の悲劇の最小化であり、それはまたテロによる人間社会の悲劇の根絶という米国の国益と合致するものであるとの論法は、やがて小型武器軍縮分野の国連プロセスへの米国の強い支持を引き出すことになった。
 会議初日には、米国のパウエル国務長官が日本議長席に「被害国の意見を集約して解決を促してほしい」旨の書簡を届けてくれたほどだ。米国のユニラテラリズム(一方主義)批判もはやっているが、米国の9・11心象風景は、米国を卑劣な極端な行為の被害者というスーパー弱者の自画像に陥れたと分析できよう。
 9・11以降、米国は自分の不安感を他国も国連も決して共有してはくれず、助けてもくれないので、自分であらゆる手段を使ってでも9・11のようなテロの再発を阻止しなければならないという孤独な怒りの世界観の中にいる。一方主義に見える行動はその極端な不安感と孤立感の断面であるため、ひとまず、米国は独りぼっちではなく、強い味方や友人がいると理解してもらうことが必要である。小泉総理がブッシュ大統領に積極的な友情を与えたことは、このような文脈に照らして極めて鋭い外交対応だった。
 この独りぼっちのスーパー被害者という心象風景を塗り替えた事件が、昨年7月に発生した。バグダッドの国連事務所へのテロ攻撃によるデ・メロ国連事務総長特使の爆死である。
 国連は巨大テロの被害者米国の苦悩と不安感のどん底を理解しない頼りない機関であるとの見方から、国連は米国と同じ被害者であるという国連観へと静かに軸が転換し始める。国連もスーパー被害者という世界観は、その後の米国の外交政策に徐々に表面化し始めるマルチラテラリズム(多国間主義)への新たな関心に反映されるようになり、イラク復興における国連関与への願いへと発展しつつある。
 極端な被害からの回復過程においては、むろん揺り戻しや混乱もあろう。しかし突き放すより、被害に会った傷心者には友情を与え続けることにより、その怒りの克服と、国際強調にくみする英名な存在としての新生を助けていくことができよう。
(フォーブス日本版04年6月号掲載)

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