IMIDAS 2001年度


[ポスト冷戦の国際社会]
民族紛争  人間の安全保障  主要先進国首脳会議(サミット)  冷戦の終焉  民主的平和論  e(イー)コマース  知識共同体  グローバル・ガバナンス  コンストラクティビズム  『文明の衝突』 
[文明の衝突]
覇権安定論  権循環/権戦争  ポスト覇権システム  世界システム論  従属論  構造的暴力
[国家間関係の変遷]
ネオリアリズム  ネオリベラリズム  勢力均衡  双極化/多極化  相互依存  国際レジーム  政策協調  グローバリゼーション  地域主義



 

ポスト冷戦の国際社会

民族紛争 ethnic conflict

宗教や言語、生活様式や文化的伝統などで結ばれた民族の意識は、人間にアイデンティティーや社会的安心感を与えて発展をもたらす一方で、排他的で競争的な政治性を帯びると著しく暴力的な方向に向かうことがある。冷戦後、世界の各地で顕在化した民族対立は、民族間の固有の確執に起因するというより、かつての帝国主義や冷戦期の陣営闘争など大国の歴史的な関与に深く根ざしていることが多い。たとえば植民地支配において、宗主国を頼らざるを得ない民族的少数派に特権を与えて武器を託し、多数派を統治させる手法が、現地の民族間に末永く消えることない憎悪を仕組む結果となったことは、ルワンダのツチ族とフツ族の対立などにみることができる。また本来、第二次大戦後、速やかに国際的な仲介や調停などにより和解や政治的解決を導き出すべきであった小国のさまざまな民族対立は、冷戦期の大国中心の国際政治のなかで放置され、憎悪は一層深まるばかりとなった。

冷戦後の民族紛争には、ジェノサイドを思わせる民族浄化という観念を掲げ、敵対する民族の徹底追放や大量虐殺を企てる場合もあり、ユーゴスラビア・コソボ紛争では、迫害されるアルバニア系住民擁護の名目でNATO軍による空爆が強行された(→「人道的介入」)。他方で、ルワンダのフツ族によるツチ族虐殺の場合は、現地のNGO(非政府組織)などが虐殺が始まる危険性を国連や旧宗主国に通報し続けたにもかかわらず国際社会の反応は鈍く、世界が事態の重大さに驚愕したのは一気に数十万人のフツ族が殺害されてからであった。このように国際社会は過剰な武力行使を展開したり、無知から無関心に陥っていたりという具合で、民族紛争という冷戦後の戦争と平和の重大問題への有効で安定した対応方法を編み出せないでいる。

ミレニアムを祝して、国際社会では「和解(reconciliation)」が政治における新しいキーワードとなりつつあるが、deep-rooted conflict(根の深い紛争)と呼ばれる民族対立に和解の波が及ぶには、地域の内発的努力と同時に、大国や国際機関による誠意と深い知識に基づく交渉力が必要である。
 

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人間の安全保障 human security

従来、安全保障とは国家安全保障(national security)を当然のように意味したが、国家という単位では一応は安全保障が実現されても、その国の中の個々の人間が、内戦、犯罪、飢餓、対人地雷、環境破壊など生存にかかわる脅威、また、けがや病気など身体的なもの、失業や貧困など経済的なもの、差別や抑圧など社会的政治的なものなどのさまざまな暴力に脅かされている状況があることを重視し、国家のみでなく人間のレベルでの安全の達成に焦点を当てた課題の設定が必要という認識から生まれた概念。UNDP(国連開発計画)の1994年『人間開発報告書』が開発の新たなパラダイムとして提示したのを契機に広まり95年の「社会開発に向けての世界サミット」(社会開発サミット)を貫く概念となった。

現代の脅威には、麻薬、エイズ、テロリズム、環境破壊、核拡散、経済危機など国家や国境を超え、個々の人間に直接に襲いかかるものが多く、このような脅威を国際社会として総力をあげて予防し、安全が脅かされないように対応力と協力を高めていく必要がある。そのように脅威を予想して早期の調査、予防、警戒を行い、堅実な対応力ゆえに脅威を最小化することを、戦争の場合の予防外交と似た意味で予防開発とも呼び、また脅威から自らを守り、人間としての能力と各種の問題対応力を十分に発揮する機会を獲得することを人間開発(human development)と呼ぶ。人間の安全保障を実現していくには、国際社会レベルのグローバル・ガバナンスと、人間レベルの人間開発が一対のものとして推進されなければならないという理解があり、国家レベルでのみ考えがちであった従来の意識を越える動きが冷戦後には見え始めている。

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人道的介入 humanitarian intervention

ある国で大量虐殺など人道に反する大規模な事態が起きた場合、他の国や国際機関が人道問題を理由に介入することを指し、非軍事的手段を想定するものであったが、最近では、1993年の第2次国連ソマリア活動(UNOSOM 2)や、ユーゴスラビア・コソボ紛争における北大西洋条約機構(NATO)の「人道被害の防止」を理由とした99年の空爆など軍事的介入が問題となっている。この場合、国家主権との相克、国連憲章は人道を武力行使の正当理由とはしていないことなどから正統性の根拠、さらにどこまで、いつまで、だれが介入するかなどの重大問題が発生する。国連のアナン事務総長が2000年9月に、ミレニアム(千年紀)サミット(→別項)に向けて発表した報告書「21世紀における国連の役割」は、人道介入の是非に言及して「国家主権が、人道に対する罪の盾に使われてはならない」と明言し、国連として人道介入に理解を示したとされる。

コソボでのNATO空爆は国連安全保障理事会の武力容認決議を経ていないために法的には正統性の根拠が問われ、また現実には空爆がかなりの付帯被害(collateral damage=市民や非軍事施設の被害)をもたらしたために、人道のための武力で非武装の人々の犠牲があってよいかとの議論を巻き起こした。ユーゴスラビアでは2000年、コソボでの民族虐殺を含む強硬路線を推進した独裁体制は、総選挙と続く20万人を超える民主化要求運動で倒壊した。独裁体制の崩壊を決定づけたのは外からの空爆より、市民の内発的な民主主義と人道主義への変革力であった。

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主要先進国首脳会議(サミット

第一次石油危機(1973年)後の不況や為替変動相場制への移行の不安感の中で、主要先進国が協調して対応するために、75年にアメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ(当時)、イタリア、日本の6カ国の首脳が参集して協議を行って以来、毎年開催されてきた首脳会議。翌年にはカナダもメンバーとなり、今日ではそのG7諸国にロシアも加えた8カ国が集まって開催される。議長国は持ち回りで、紀元2000年のサミットは7月21日から3日間、沖縄で開催された。定例的に開催されてはきたが、サミットには常設の機構や本部などはなく、会議は各国の自発的な参加合意によって続いており、サミット=山頂への首脳の登頂を手伝うという意味で「シェルパ」と称する首脳の個人代表がその年の国際的課題を調整して運営される。このようにサミットは各国首脳を中心に柔軟な運営がなされているため、国際社会の緊急の問題や新種の課題に早めに取り組むことが可能である。たとえば1999年のケルン・サミットはグローバリゼーションの負の側面への注意を喚起し、人間味のあるグローバリゼーション(globalization with human face)の必要を強調し、数年来のグローバル化礼賛の思潮に歯止めをかけた。また沖縄サミットでは、IT(情報技術)革命がもたらすデジタル・デバイド(情報格差)問題への対応が呼びかけられた。サミットはもともとは「Economic Summit(経済サミット)」と呼ばれ、当初は政治イシューにおける西側陣営内の差違を顕在化させないために経済問題に限って議論していたが、今では人間社会が直面するあらゆる重要テーマが対象となっている。  

主要先進国サミットは、1950〜60年代を通じて機能したとされるパックス・アメリカーナ(アメリカ主導の国際秩序)のようなヘゲモニックな国際秩序が後退しても、国際社会が高度な自己組織性を発揮し得るようになったことを示す貴重な事例である。背後には経済的相互依存の深化があるが、同時に、複雑化する国際関係の中で改めて人間同士の直接的で反復的な出会いと信頼関係の重要さが認識されるようになったことがある。実際にサミットは首脳の個人的な信頼関係を多国間でつちかう場として機能しており、98年のバーミンガム・サミット以来、閣僚会合を先行させて分離開催する方式が採用され、首脳同士の共通認識の形成がいっそう強調されるようになった。  

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冷戦の終焉

米ソ冷戦のプロセスは大別すると、冷戦期、デタント(緊張緩和)I、新冷戦期、デタント2=冷戦終結の4局面を経たと見ることができる。冷戦は第二次世界大戦直後に始まり、米ソ間の核軍拡競争やキューバ危機などの軍事危機、そしてベトナム戦争や朝鮮戦争など第三世界での熱戦化による熾烈な大国間武力対立として展開した。アメリカの当初の核戦力の優位性に対してソ連が追い上げ、ソ連がついにSLBM(潜水艦発射弾道ミサイル)を開発したことで1960年代末には均衡が達成されたといわれたが、このことを背景に72年にはSALTI(第一次戦略兵器制限条約)が核兵器の軍備管理条約としては初めて締結された。デタントIはその準備が始まる69年ころから、ソ連が突然アフガニスタンに侵攻する79年までは続くと考えられる。79年からは新冷戦といわれ、80年のモスクワ・オリンピックへの西側不参加や、地対地ミサイルSS−20やパーシング2の中距離核兵器(INF)の配備などで緊張が続くが、85年に西側との交渉に積極的なゴルバチョフ政権が誕生したことで新冷戦からの脱却とデタント2の訪れがいわれ、デタント2はそのまま冷戦終結へとつながった。

冷戦終結の背景には政治的、経済的、戦略的な理由がある。政治的には、民主化に意欲的な政権がソ連に誕生したことと東欧諸国の民主化運動による体制転換がある。経済的には、核軍拡の経済コストが両国の経済を極端に悪化させたことがある。SDI(戦略防衛構想)関連の予算を含むレーガン政権期のアメリカ史上最大の平時防衛予算は財政赤字急増の主因となり、それを補うための著しい高金利政策によるドル高構造は深刻な貿易赤字問題をもたらした。戦略的にはINFにみるような核軍備技術の高度化による安全保障戦略の行き詰まりが挙げられる。このことは85年に再開された米ソ首脳会談の最初の成果が87年の中距離核戦力全廃条約(INF Treaty)であったことにも表れている。

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民主的平和論 democratic peace theory

民主主義国家間不戦構造に関する学説。民主的な国家がそのほかの国より平和的であるとは限らないが、民主的な国家同士ではめったに戦わない、というのがその基本仮説で、1795年にI.カント(Immanuel Kant)が『永久平和のために』の中で民主的な共和国が互いに作る平和的な連合について論じたことが思想的な起源であることから、カンティアン・ピースとも呼ばれる。従来、戦争と政治体制との関連では、数多くの研究が民主主義という国内体制の特徴と戦争志向性の低下を実証しようとして結論を得られないでいたが、エール大学のB.ラセット(Bruce Russett)らは、国家の属性ではなく二国間関係(ダイアッド)における共有属性としての民主主義に着目し、平和との相関を実証した。すなわちダイアッドの双方が民主主義であれば、両国の間の戦争蓋然性は減少し、また発生した武力紛争も拡大しにくくなり、この効果は経済力、成長率、同盟関係、軍事力の差など一般には戦争蓋然性と関係すると考えられてきた変数とは独立して存在することを検証した。ある国が民主化を遂げたから平和な国になるわけではないが、民主主義国同士は戦わないため、システム内に民主的な国が増えれば民主国同士というダイアッドも増え、戦争の蓋然性は減少することになり、この理論はアメリカの民主化支援策の理論的支柱となった。他方で、民主化を遂げた諸国は他の民主主義諸国との間には不戦構造を築くかもしれないが、民主化の過程においてナショナリズムが高まり、また経済運営が一時的に混乱して不満が高まったりするため、非民主主義国家に対する対外攻撃性がむしろ拡大する恐れも否定できない。

このようにダイアッドの平和がシステム全体における戦争増加につながらないようにするための長期に及ぶ民主化支援の検討も急務である。

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e(イー)コマース Electronic Commerce ; E-Commerce

電子商取引とも訳されているが、商業のみでなく、Eメールやインターネットなど電子通信を利用した知的活動のすべてを含む。eコマースは、国際政治にかかわる専門家やNGO(非政府組織)のネットワークと活動の専門性を飛躍的に向上させることから、今後の国際社会における競争力の根幹を左右する。OECD(経済協力開発機構)の優先課題の一つにもなっているが、日本はアメリカに次ぐ経済規模の国でありながら、電脳ネットワークの利用については遅れが目立つ。

eコマースの特質は情報交換の高速性と直接性にあり、情報平等性が促進される一方で、コンピューター識字率の格差などが都市と農村、男女間、年齢層で深刻化する可能性もあり、とりわけ途上国に関しては、電脳時代の経済協力のあり方の検討が急務である。 

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知識共同体 epistemic community

冷戦後の世界では、国際社会の相互作用の深化を背景に、環境問題、人口問題、核不拡散、債務救済などさまざまな地球的規模の諸問題に対応する際に、国境を超えた専門家集団のネットワークが重要な機能を果たすようになっている。いずれの分野も調査、因果関係の推定、対策の考案などに高度な専門的知識と規範認識が必要であり、専門家は知識の提供者と規範の形成者として国家や国際機関に対して大きく影響を及ぼすようになっている。このような専門家集団はエピステミック・コミュニティーと称され、「特定分野において専門性と能力が認められ、その分野ないし問題領域内で政策上有効な知識について権威をもって発言できる専門家ネットワーク」(P.ハース〈Peter Haas〉)と定義される。名称が哲学用語のエピステモロジー(認識論)に由来することにも表れているとおり、その特質は知識水準と規範認識の共有にあり、また組織より専門家としての人間のネットワークによる力にある。オゾン層保護のための特定フロン全廃への政治過程はそのように知が力となり、組織よりネットワークが政策推進力となる時代の事例とされる。  

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グローバル・ガバナンス global governance

ガバナンスは従来は国家の機能として語られるものであったが、貧困、飢餓、環境破壊、人権侵害、難民増加、核拡散など地球的規模の諸問題(グローバル・プロブレマティーク)に国家が十分に対応できない場合、国際社会がそれを放置するのではなく、正義を達成するべきであるという認識に基づき、グローバルすなわち地球的規模でのガバナンスの必要性が唱えられるようになった。その理念を明確に提示したスウェーデン主導のグローバル・ガバナンス委員会の1995年報告書はそれを「地球社会の統治、管理運営、自治の意味を含み、個人と組織、私と公とが、共通の問題に取り組む多くの方法の集まりであり、そのプロセスは利害調整的かつ協力的である」と定義している。「新たな世界秩序を国家レベルのみで考えるのではなく、むしろ市民の安全と福祉、市民社会の構成と安定に主眼をおいて模索し…従来の国家主権論を離れ、大幅に市民社会の役割を取り入れるのが特徴的」(緒方貞子による日本語版序文)である。人間社会として耐えがたい悲惨な状況の解決をもはや国家にのみ頼るのではなく、個人、国際機関、民間組織なども総力をあげて解決に取り組むべきとする考え方である。

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コンストラクティビズム constructivism

国家間システムの中心構造は、物質的リアリズムではなく間主観性(経験的なだけでない、より高次の共有される主観性)であるとし、またアイデンティティーや選好は外生的な合理的選択によってではなく、間主観的な要素によって構成されるとする立場から、国際社会における国家など行為体の自己組織的な資質や自己認識、共有観念などを重視して主体的な発展過程に注目する理論。起源は、主観から独立した外的実在の世界を認める科学的立場に対して、現実は観念や意識などによる能動的な構成過程の結果であるとするカントなどによって代表された立場。認識や主観は活動や経験を通じて形成されるとし、存在を外部からの作用の客体としてではなく、プロアクティブな(能動性のある)ものとしてとらえる。また人間や社会は自己の経験を秩序立てて解釈しようとすることから、人間の精神や社会は継続的な自己組織性を発揮するが、それを助けて促進するアイデンティティーや間主観的な社会シンボルが必要となり、またさまざまな経験や関係性の相互連関(connectedness)が絶え間なく追求される複雑なプロセスとして自己組織化が進む。さらにそのプロセスは発展的で、絶え間なく新たな経験や現象との出合いにより変容し、またその変容過程は、異なる内容との遭遇により自己組織化された状況が完全に消滅したり否定されたりするわけではなく、他方で新たなこととの遭遇を完全に否定するわけでもないという意味で、本質的には弁証法的であり、また弁証法的総合による発展は永続的である。

国家を含む人間社会の存在をこのようにとらえると、経験は固有であることから、自己組織化とその変容過程の固有性を重視し、グローバリゼーションの勢いにより普遍への圧力が高まる中で個々の国家や社会の経路依存的(path-dependent)で固有の部分について、より肯定的に柔軟に評価できるようになる。グローバリゼーションの進む現代におけるA.ウェント(Alexander Wendt)らのこのような理論活動は、18世紀における科学という普遍への急流の中のカントらの思想的機能に重なるところがあろう。

他方で、コンストラクティビズムはグローバリゼーションに抵抗する理論として位置付けられるべきではなく、国家を単位とする国際関係から、個人を単位とする地球社会への道筋を理論的に提示する力もこの理論は内包する。経験に基づく自己組織性はアイデンティティーの共有により促進されるが、近代的自我に内在する他者との差異化の要求から、実は集合的アイデンティティーの形成は不完全となり、その不完全性は個人が国家や社会など自らが帰属し形成していた構成(construction)ないし構造(structure)からずれて、地球社会の非自己である部分と新たな関係性を形成し、自己の構成を変容させていく絶え間ないプロセスを生み出すのである。それはグローバリゼーションの本質を支える力学であると同時に、グローバリゼーションの中で自己が永続化するメカニズムとなる。ちなみに、生命体においては、非自己に対応するアンテナをレセプター(受容体)と呼び、レセプターの機能により生命体は免疫力を維持しているとされ、またレセプターの経験を新しい記憶にして新たな自己を形成して生き延びる力の強いシステムをスーパーシステム(超システム)という。

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『文明の衝突』

ポスト冷戦の世界においては、イデオロギーに代わり異なる文明間の衝突が主たる紛争要因になるという主張で、アメリカの政治学者S.ハンチントン(Samuel P.Huntington)が唱えた。世界の文明圏を中華、日本、ヒンズー、イスラム、西欧、東方正教会、ラテンアメリカ、アフリカの八つに分類し、西欧対非西欧の対立、とりわけ西欧文明とイスラム文明の対立は激化し、和解はないとする。アイデンティティーや宗教などを国際社会の分析の主な要素とする新たな理論的可能性を示す一方で、自由主義対社会主義という冷戦型の二項対立が解決した後も、さらに世界を二項対立の原理でとらえようとするアメリカの政治思潮の危うさも示している。
 

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世界システム
 
 

覇権安定論 hegemonic stability theory

一大強国が国際秩序を一種の国際公共財として供給し、その負担をほぼ単独で負うような国際システムは覇権システム(hegemonic system)と呼ばれる。パックス・アメリカーナ(固定相場制、自由貿易体制、エネルギー体制などを含む戦後の国際政治経済体制)はその典型とされ、19世紀のパックス・ブリタニカもその一種とする見方もある。覇権安定論によれば、国際秩序は覇権システムが安定して機能しているときに最も安定し、また覇権システムは覇権国(hegemon)とその他の勢力の間にシステム変動を抑止するに十分なパワーの格差が存在し、結果に見合わないほどのコストなくして覇権国に対する挑戦は引き起こせないと考えられているときに最も安定する。パックス・アメリカーナは、1970年代前半の固定相場制の崩壊や石油危機とその後の不況、またアメリカの貿易赤字などから揺らぎが懸念されるようになり、それを背景にR.ギルピン(Robert Gilpin)やS.クラズナー(Stephen Krasner)などネオリアリズムの国際政治学者が唱えた。その考え方によれば、覇権国の機能により国際システムは安定化するが、その均衡は、{1}覇権国は国際秩序のコストをオーバーペイ(過剰負担)する運命にあり、{2}それをまかなうために遂行される支配の拡大はいずれ必ず収益よりコストが上回るようになり、{3}軍事面でも経済面でも技術突破のコストに対して、技術の伝播は早いために、覇権国の絶対的な優越の長期維持は困難なことから不安定化する。

経済学者C.キンドルバーガー(Charles Kindleberger)が、国際経済の安定化には国際通貨体制などを保障するスタビライザー(stabilizer 安定化促進勢力)の存在が必要であるとしたことに類似している。

エール大学の歴史学者P.ケネディ(Paul Kennedy)が、ベストセラーとなった『大国の興亡』において、ネオリアリズムとは別のアメリカ悲観論の立場から、ハプスブルク、イギリス、アメリカなどすべての大国は、「帝国の過剰拡大」(imperial overstrech)、すなわち権益と支配の過剰拡大という共通の原因により衰亡すると主張したことにも、部分的に類似する。

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権循環/権戦争 hegemonic cycle:hegemonic war

パックス・アメリカーナの揺らぎが指摘された1970年代半ばごろから、アメリカでは戦後の成長期に内在した直線的進歩主義(linear progression)の視座とは異なる循環論パラダイムが流行し、アメリカ主導体制の揺らぎを循環現象の一局面と理解しようとする観点から、歴史に見る覇権システムの動態が論じられた。覇権安定論によれば、覇権国(hegemon)は国際公共財の過剰負担から疲弊し、他方で国際体制の便益にただ乗りして成長する国が挑戦国(challenger)となって追い上げる構造が長期的には存在し、過去においてはやがて覇権戦争、すなわち覇権国にとっては覇権防衛の、挑戦国にとっては次期覇権の座をねらう覇権攻防戦が各時代の最大規模の戦争として発生した。ハプスブルクの支配に対するオランダの台頭の契機となったスペイン戦争(=オランダ独立戦争、1597〜1609年)、イギリスが構造的支配の地位を得る契機となったフランス戦争(1713年のユトレヒト条約によりイギリスは、ヨーロッパ大陸内はフランスに譲る形式をとりながら、地中海世界と外洋を結ぶジブラルタルや後の三角貿易のかなめとなるアシエント〈奴隷貿易独占権〉など海洋覇権の基礎を奪取した)、フランスが挑戦国として覇をねらい、イギリスの海軍力に最終的には阻止されるナポレオン戦争(1792〜1815年)、プロイセン=ドイツが挑戦国の立場をとった第一次世界大戦(1914〜18年)とそのやり直しの第二次大戦などが、覇権戦争として位置付けられる。

覇権国は、覇権戦争を通じて台頭し、秩序の基礎を固め、支配に資する制度的発明を行い(たとえばオランダの連合東インド会社、イギリスの中央銀行制度、産業革命、アメリカの多国籍企業、核抑止戦略、宇宙開発体制)、ある種の国際秩序を供給し、拡張し、その負担に病み、克服のためのさらなる拡張を行って衰退し、覇権戦争で次期覇権に国際システムを譲る、という軌跡を大体において描くとされ、これを覇権循環という。

アメリカはこの学説から、覇権国としての衰亡を防ぐには、国際的なコミットメントを拡大し過ぎず、また国際秩序のただ乗りを許さずに負担分担を行う、という政策的教訓を引き出し、実行し、こうして知識を政策に生かして実際に衰亡を免れている。
 

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ポスト覇権システム post-hegemonic system

覇権安定論によれば覇権システムは秩序供給者の過剰負担で必ず不安定化し、またそれゆえに最大級の戦争が発生し、しかもそのような経緯がある種の周期性をもって循環するというわけであるから、実際には極めて構造的に不安定なシステムであり、その超克へのメカニズムこそ検討しなくてはならない。R.コヘイン(Robert Keohane)は『After Hegemony』によって、その題名のとおり、覇権システムに依存しなくても主要国の協調と負担の共有による国際公共財の供給が可能であることを示し、ポスト覇権システムへの理論化を推進した。それによれば、{1}不特定多数ではなく特定の幾人かのプレーヤーから構成されるシステムでは、互いに行動を監視できるので、共に集合財を提供し合うことが可能であり、{2}「囚人のジレンマ」ゲーム(→別項)において非協力解の選択が優越戦略(相手の選択の如何にかかわらず自分にとって合理的な戦略)となるという論理は、同一のメンバーで連続的に反復的にゲームが行われる場合には成立せず、非協力解の選択は報復を招くためその長期的コストは大きく、将来にわたってゲームが続くという認識ゆえに協調解に至ることが可能であることを示し、ネオリアリズムが想定する協調不可能なアナーキーな国際社会の前提は現実的ではないことを示した。

ポスト覇権システムとは、覇権システムのように一大強国が他国との国力の圧倒的な格差を前提に国際秩序を単独で供給するのではなく、リーダーシップを発揮する中心的な国家が存在するとしても(ポスト〇〇と言う場合には〇〇と無縁のものではあり得ない)、国際政治経済の各領域に最も深くかかわる関係各国が相互に、そして外部とも絶え間ない利害の微調整を行いながら、政策協調とコンソーシアム型共同管理システムの運営を通じてその分野の秩序を維持する国際システムであり、{1}問題領域別コンソーシアムの重層的体系、{2}政策の連動と利害の連続的微調整、{3}国際公共財の共同負担、などを特徴とすると考えられる。主要先進国サミットなどに象徴される新たな多国間首脳外交と、分野別、地域別などに派生していく各種の協議体の重層的ネットワークはその一端を示している。これらの国際秩序供給能力はいまだ不確実ではあるが、現在の国際社会のある種の内発的な自己組織性の発現形態として見ることができる。

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世界システム論 world-system perspective

世界システムがいつごろから発生したかについては、1500年前後を一応の基準とすることが多い。アメリカの社会学者I.ウォーラーステイン(Immanuel Wallerstein)は、世界システムを経済分業で結ばれた全体、あるいは人間の物理的、精神的存在にとって枢要なものを生産して交換する集団的広がりととらえ、そのような関係の世界的規模における成立は、東方貿易を飛躍的に拡大したインド航路が開拓され、また銀の大量流入をもたらす新大陸が発見された15世紀後半から、その経済効果がヨーロッパ中心的初期世界市場の誕生につながる17世紀前半までの「長い16世紀」においてであると指摘した。「長い16世紀」の終わりには、常備軍、官僚制、新興市民層などを背景に中央集権化の条件が広く整い、国民経済の発達と軍備拡張が可能となってヨーロッパの求心性が揺るぎないものになり、近代ヨーロッパ中心型世界システムの様相が明らかになった。強力な中心の出現は同時に他の地域の周辺化をもたらし、ヨーロッパの中心性の維持と、世界の他の地域の周辺化は一対のプロセスとして進展した。

中心(center)と周辺(periphery)の生成が進むと、必然的に他の二つの重要なカテゴリーが現出した。一つは周辺の一部でありながら経済的自立を目指し、他の地域を周辺化することで自らの中心性を高め、中心国の仲間入りをいずれ達成しようとする準周辺(semi-periphery)と呼ばれる諸国で、その特徴は中心を目指すアグレッシブな上昇志向にある。もう一つは、世界システムにおける周辺化作用を免れるために、自らをシステムから遮断し、システムに有機的に結合されない立場をとる地域で、外部(external area)と呼ばれ、地理的に遠方であるために事実上経済分業に組み込まれない地域も含まれる。このような関係性の中でいかに中心を構成する地域や国が移り変わり、それにともなって覇権が循環し、またさまざまな周辺化作用が展開したかという観点から、数世紀にわたる時間軸で巨視的に分析してこそ世界の本質が理解できるとする見方が世界システム論である。

覇権の条件として特に重視されるのは金融支配力で、ウォーラーステインらが覇権国とするのはハプスブルク、オランダ、イギリス、アメリカである。覇権の軌跡にはA面とB面があり、A1=覇権への躍進、A2=覇権の確立、B1=覇権の成熟、B2=覇権の衰退、という四つの大まかな局面から覇権のサイクルは成り、コンドラチェフの長波(約50年を周期とする最長の景気循環)の約2回分を一つの周期に、覇権は循環するという。
 

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従属論 dependency theory

1960年代よりT.ドス・サントス(Theotonio Dos Santos)やC.フルタード(Celso Furtado)、A.G.フランク(Andre G. Frank)などのラテンアメリカの経済学者らによって唱えられ、南北問題の理論化に大きな影響を与えた学説。第三世界の貧困の起源は、一次産品供給の単位として世界システムに組み込まれた植民地の歴史にまでさかのぼるとし、ヨーロッパ中心型世界システムの発展と一対のプロセスとして非ヨーロッパ世界の周辺経済化が進んだと論じた。植民地独立によって帝国の支配からは解放されても、単一栽培を強化するアグリビジネスや資源開発型多国籍企業の浸透により、同様の垂直的分業と収奪体制が維持されたと指摘し、低発展が構造化されたことをラテンアメリカの事例研究によって示した。 

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構造的暴力 structural violence

ノルウェーの平和研究者J.ガルトゥング(Johan Galtung)が示した概念。戦争のような直接的な暴力の発現形態に対して、生命と人権が保障された本来あるべき公正な社会水準と、飢餓や抑圧に苦しむ現実との乖離を説明するために用いた概念で、社会構造のゆがみや不当な権力の発動による剥奪状況を表す。第三世界の剥奪状況に対して、従来の近代化論は教育や資本形成の遅れなど国内要因を強調してきたが、ガルトゥングは外部の先進国の中枢と周辺国の特権富裕層との連合によって、周辺の周辺(periphery of periphery)すなわち周辺国の中の周辺的な立場の人々である農民や労働者の貧困が構造化されていると指摘し、低発展の起源が国内より国際経済構造にこそあるという観点を理論化した。

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国家間関係の変遷
 

ネオリアリズム neorealism

古典的リアリズムでは国際政治の現実は軍事力を中心とした国益をめぐる権力闘争であると見なした。また古典的リアリズムがそのような国際政治のダイナミズムの源泉を人間性や国家レベルの要因に主として見いだそうとしたのに対して、ネオリアリズムは国際体系の構造とその不安定性に見いだそうとし、紛争や武力対立の発生を国際構造の側面から一般化しようとした。ネオリアリズムが構造的リアリズム(structural realism)とも呼ばれるのは、国際システムの構造がその個々の構成員の行動をかなりの程度規定するという主張のためである。古典的リアリズムと同様にネオリアリズムはパワーを中心的概念とし、また国際社会の無政府的特質を重視するが、ネオリアリズムにおいては、国力の差異や分散状況により国際システムの構造が決まり、またその構造上の位置により各国の対外政策は規定されるとする。アメリカの国際政治学者K.N.ウォルツ(Kenneth N.Waltz)の『Theory of International Politics(1979)』により始まったとされる見解。批判としては、古典的リアリズムと同様に一般理論としての科学的実証が困難で不十分であること、すべてを構造に還元してしまうのでは同様の構造の中での諸国家の多様な行動と関係を説明できないこと、また構造を与件としすぎるために国家の政策的な主体性を分析しにくいことなどがあるが、他方で、武力紛争の発生しやすい構造を知ることは、それに注意し、同様の結果を繰り返さないようにするための知識の基盤ともなる。
 

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ネオリベラリズム neoliberalism

古典的リアリズムがもっぱら軍事力をパワーの中心的要素と考えたのに対して、ネオリアリズムは経済力の格差と分布を含む国際構造を論じたが、ネオリベラリズムは、経済的相互依存がもたらす緊密な国際関係や、協調と問題処理メカニズムとしての各種の国際経済レジームによる平和の可能性を重視するなど、いっそう、政治経済学的志向性が強いのが特徴である。経済学ではネオリベラリズムは国家の市場介入を警戒するという視点から国家の役割の限定を論じるが、国際政治では国家の軍事中心主義を警戒するという視点から国際経済関係を重視して国家の国際システムにおける役割を相対化しようとする。いずれも国家が伝統的に国内、国際の両面で担ってきた権力的機能の抑制が必要と考える点において思想的共通性がある。国際政治学においては、ネオリベラリズムは必然的に国際機関など非国家的アクターの機能に注目し、また国益の擁護などリアリズムと共有する視点は多いものの、国際関係の緊密化と範囲の広がりに着目して長期的な観点から互いに譲歩や協調を引き出すことが可能であるという観点に立つ。冷戦の終焉がリアリズムの予想に反して実現可能であったことが、パワーポリティクス論の過剰な単純化を指摘するネオリベラリズムの勢いの契機となった。

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勢力均衡 balance of power

国際関係の安定を維持するために主要勢力の軍事力を均衡させるという考えは古代から各地に見られ、また現代では冷戦期の米ソ関係もそのような基本認識に基づいていたと見ることができるが、安全保障体制としての勢力均衡原理は厳密には、三十年戦争の講和条約である1648年のウエストファリア条約の成立から、主要5カ国であるイギリス、フランス、ロシア、プロイセン、オーストリア間の均衡がついに崩壊する第一次大戦勃発までのヨーロッパ国際政治体系について用いられる。主要各国の独立が維持されるよう、一強国による全体の支配や膨張を牽制することがその根本原理であり、そのためには同盟を機敏に組み替えることもあり、また均衡を回復させるために、たとえばナポレオン戦争で敗戦したフランスのシステム復帰を認めるなど、常に主要国が相互に拮抗することで征服による一元的支配を拒もうとした。一般に戦争は限定目的のためにのみ戦われるべきであるとされる。大規模な戦争はシステムに不確定な結果をもたらすので均衡原理の観点から警戒され、予防が重視されたため、ヨーロッパ外交の手法と技がこの時代に発展したとされる。しかし小国については独立の尊重や均衡原理はなく、数度のポーランド分割やバルカン地域への膨張合戦に見るように、ヨーロッパ周辺地域は大国の均衡原理の矛盾のはけ口となった。また、ヨーロッパ内部の膨張を否定したことで主要国は外洋への膨張を競い、世界の帝国主義的分割が進んだ。20世紀最初の世界大戦がバルカンの政情不安と世界分割の限界から始まったことは、この原理に内在する重大な矛盾を示している。勢力均衡は国際政治におけるリアリズムの視点からの分析の代表的な事例とされる。

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双極化/多極化 bipolarity:multipolarity

主要勢力が二つに分かれて対峙するというのは国際社会のみならずどのような社会状況においてもよく見られる勢力分布であるが、国際政治では、果たしてそのように勢力が二分されているほうがシステムとして安定するのか、それとも三つ以上の多数の求心的な極が存在しているほうが安定するのかをめぐっての論争が、とりわけ冷戦期には見られた。米ソ冷戦構造は典型的な双極化構造だが、1970年代に入ると日本とヨーロッパの経済的求心性が評価されて日米欧の三極構造のシステム安定化効果が論じられるようになった。その背後には軍事力一辺倒の国力観の修正があり、パワーポリティクス論に対する経済重視の相互依存論やネオリベラリズムの思想的発展があった。多極のほうが、さまざまな調整の余地や交渉回路を発見することが可能になって国際システムの柔軟性が増すと考えられるが、他方で相互作用は複雑になるため、協調や多様な問題への対処を促進する各種の国際レジームが同時に発展することなどがその利点を引き出すためには望ましい。双極化は二大勢力の拮抗で一見安定化しているようでありながら、加速的な軍拡競争やシステムの硬直性など大きなリスクと脅威を内包しがちである。冷戦後の国際システムは、軍事的にはそのいずれでもないアメリカ単極化になりつつあり、また経済面では極構造よりグローバリゼーションやネットワークの力学が注目されるようになり、双極・多極の議論は下火になった。
 

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相互依存 interdependence

国家間が同盟や外交関係だけでなく、貿易や投資など多様な経済活動により重層的に結び付きを深めている状態。1970年代初めに日米欧の先進国関係の相互作用の深化に注目して広まった概念であり、思想的にはリアリズムの軍事中心的視座への批判が内包されている。経済的相互作用が拡大すると相手の行動への脆弱性(vulnerability interdependence)が高まり、また相手のマクロ経済の動向への敏感な反応(sensitivity interdependence)が増すことがアメリカの国際政治学者R.コヘイン(Robert Keohane)とJ.ナイ(Joseph Nye, Jr.)などにより指摘された。また多国籍企業や国際機関など多様な非国家主体がさまざまなレベルで複雑な国家間の関係性を編み出していることから複合相互依存(complex interdependence)の表現もよく用いられる。ネオリベラリズムや、国際政治経済(IPE International Political Economy)の起点となる概念。
 

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国際レジーム internationalregime

相互依存の進展にともない、国家間関係が強化される一方で、経済に関する摩擦や利害の衝突も増え、効率的な問題処理手続きなども含めた協調の枠組みが必要となった。二国間で対処するばかりでは同様の問題が各国家間で多発する可能性が高く、また二国間における解決が他の諸国に不利益をもたらしかねないこともある。そこで多国間で特定の問題領域に関して共通の規範を形成し、互いの利害を調整して交渉と協調を促進する枠組みとしての国際レジームが求められるようになったが、これは国際機関や協定などの機構論ではなく、機能的側面を論じるときに用いる概念。たとえば自由貿易に関して、GATT(関税と貿易に関する一般協定)やWTO(世界貿易機関)を機構としてより、体制としての機能と力学を考察する場合に、その関連メカニズムも含めて国際貿易レジームという。したがって概念としての抽象度は高く、最もよく引用される定義は、「明示的あるいは暗示的な原則、規範、規則および政策決定の手続きの集合から成り、これを中心に国際関係の当該問題領域に関する行為主体の期待が収斂する」(S.クラズナー)。
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政策協調 policy coordination

主として通貨の適正水準を求める為替市場への協調介入、公定歩合の協調利下げ、財政金融の緩和策の採択などを指し、世界経済の安定化のために場合によっては短期的な経済利害を超えて協調的にマクロ経済政策を運営すること。さらに経常収支、財政収支、成長率、インフレ率、金融情勢、失業率など基礎的経済条件(ファンダメンタルズ)の相互監視(サーベイランス)や連動的改善も含む。本格化するのは1985年9月のプラザ合意によるドル高是正への協調介入から。経済的相互依存が進展した70年代は、同時に変動相場制への移行や石油危機などで国際経済秩序が大きく動揺し、世界経済の混乱を回避するには主要先進国のマクロ経済政策面での協調が必要という認識から生まれた。

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グローバリゼーション globalization

個人、企業、団体などさまざまな行為体(アクター)が、国内の範囲を超えて広く国際的に合理的な選択を求めて行動しようとすることから地理的に広範な市場やネットワークが進展し、また個々の立場がそのダイナミズムから影響を受けるようになるプロセス。それにともない、合理的選択を求める相互作用を容易にし、簡素化し、またそのリスクを最小化するために、規格や手続きを標準化する必要が生じ、国際的に認められたものをグローバル・スタンダードという。それには、ISO(国際標準化機構)など正式に公的な機関により認められてその機能を獲得していく場合と、市場での競争力ゆえに事実上の国際標準になる場合があり、後者はデファクト・スタンダードといわれる。
 

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地域主義 regionalism

グローバリゼーションの勢いが強まるなかで、地域的にまとまりのある諸国が結び付きを強めることで過度な影響から互いに守り合い、また一国では実現しにくいインパクトを国際社会や世界市場に対してもたらそうとする動き。連携の制度化の度合いはさまざまであるが、EU(欧州連合)、NAFTA(北米自由貿易協定)、APEC(アジア太平洋経済協力会議)などは代表的な事例。世界が戦間期のようなブロック化に向かうことは各国の利益に反するという見方が主流であり、開かれた地域主義の可能性が模索されてきた。

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