第1回 Eメールで読むニューヨークタイムズ書評
「半歩遅れの読書術」
(2000年10月1日 日本経済新聞朝刊 掲載記事)
上智大学法学部教授 猪口邦子氏
エール大学の大学町に住んでいたころ、ニューヨークタイムズの日曜版に限って早朝盗まれて困るという話はパーティーでみながちょっと気取って好んでする話であった。なんとしても書評欄を読みたいという貧乏学生のやることだから、憎めないがね、と一軒家に住むような教授はすかさず言う。ところで、先週の書評欄のあの酷評はひどいね、と話題は進むのである。
米国の学芸のトレンドを決定していたその書評欄は、今では世界の読書人の案内役になりつつある。もはや日曜版を盗み読むなどという必要はなくなり、(http://www.nytimes.com/books/で依頼すれば)瞬時にメールで書評欄を無料で送信してくれる時代になったからでもあろう。日本には早くも土曜のブランチのころに届き、書評フォーラムには(http://www.nytimes.com/books/forums/)検索エンジンもついているので、過去の書評をやはり瞬時に検索し、読むこともできる。今週はカズオ・イシグロの新著『我らが孤児であったころ』の優れた書評が載っていたので、早速、10年余り前の話題作『日の名残』(??)の書評を呼び出してみると、この作家の読み方において書評界も進歩したことを知るのである。
こうしてウェッブ資源を使うと、半歩遅れの読書術は「半歩進んだ読書術」にもなり、読書人サーファーはいい本に出会いたいという一心で時空を軽やかにこえることができる。人気作家の場合は、新著の第一章が書評のサイトですぐ読めるようにもなっている。また本を購入したければ、書評欄に本屋がいくつも出店しているので、すぐに通販で届けてもらえる。因みに2週間前は村上春樹の『ノルウェーの森』の翻訳が話題になっていた。検索をかけるとこの作家が実に頻繁にニューヨークタイムズ書評欄に登場していることがわかり、日本経済は低迷しても、世界のなかの日本文学は発展していたことを知る。
地味でも深い内容をもつ本がこの書評欄で注目されて不滅の書になる例は数知れない。大陸ヨーロッパが五世紀に文化的に衰亡して学芸の伝承が途絶えたとき、辺境のアイルランドの修道院で細々と写本がなされたために古典が紛失されず、中世以降のヨーロッパの学芸の発展が可能となったことを明らかにした『いかにアイルランドが文明を救ったか』(邦訳は『聖者と学僧の島』青土社)はその代表である。半歩遅れでも本当に読むに値する本はあり、主要紙の書評欄は、細々と写本する学僧が文明の灯火を守る場の現代版なのかもしれない。