アンドレ・グンダー・フランク
『リオリエントーーアジア時代のグローバル・エコノミー』(藤原書店)

2000年7月12日 『東京人』書評欄掲載記事 




上智大学法学部教授 猪口邦子氏

  2年前、ポルトガルの首都リスボンにて海をテーマに華やかに万博が開催され、またその年は国際海洋年として欧州方面では盛大に祝賀行事などが行われた。1998年は、実は500年前のあることに因んで「海」の年であった。それは、ポルトガルの船乗りバスコ・ダ・ガマが1498年、ついに当時のヨーロッパ世界の念願であったアジアへの完全海上交通路を発見したのである。いわゆる喜望峰を回ってインドに向かうインド航路発見ある。これを契機に、陸上隊商交易のコストの高さとテンポの鈍さで制約されていた東方貿易が一気に拡大し、以降500年にわたるヨーロッパ中心型近代世界システムが誕生したといわけであるから、欧州ではお祭りなのであった。  

500年前、欧州の対アジア貿易収支は赤字で、アジアからみてヨーロッパから買うべきものはなかったため、彼らは中欧などの銀山を採掘して支払いをするが、やがて銀山は枯渇する。東方貿易をファイナンスするために銀山を求めて探検に出た彼らはついに南米に豊かな鉱脈を発見し、土着文明を破壊して征服し、アジアへの銀の流れをつくる。しかし交易より征服という選択を知った彼らはやがてアジアを植民地化し、ヨーロッパ中心性を完成させる。

  筆者は南米の帝国主義的搾取と現代にも及ぶ貧困の構造を告発する学問運動であった従属論学派の代表的研究者であるが、この大著はアジアに軸足をおいて世界システムを再検討しようとする画期的な視点を内包している。I・ウォ−ラーステインらがリードしてきた従来の世界システム論は、上記のようにアジアをヨーロッパ求心性の客体としてとらえる程度にとどまるという弱点を、フランクは本書によって鋭く突き、オリエント(東洋)を再度(re-)重視しようという表題にその主張を込めている。さらに、re-orientは方向付けをやり直すという掛詞にもなっており、ヨーロッパ中心型世界観を直そうという批判的メッセージが込められている。

  500年より長い時間軸をとることにより、アフロ−ユーラシアの経済力学の自律性と活力を明らかにできるのではないかという願いがそこにはある。また、ヨーロッパ中心性が疑いようもない近代500年についてさえ、たとえば日本の鎖国政策が、その名称とは裏腹に実は当時の世界経済の力学と関係性を積極的に認識した内発的世界戦略の選択として再解釈できるのではないかという願いがある。南米の銀山搾取で銀が供給過多になり、金に対する銀の価格が下落した。銀の減産を余儀なくされた主要輸出国スペインは以降、EU(欧州連合)に加盟して再生するまでの長期にわたり自律性と活力を喪失する。当時、日本は銀の巨大な輸出国であったが、この危機に対して銀の輸出をほぼ完全に禁止したことで、近代世界システムの中でスペインなどよりはるかに早い中心性の回復をみた。

新たな史観への願いはある。長年、南米経済の悲劇を世界に問うた知識人は七一歳の高齢で大手術から生還し、アジアに光を見出そうとしている。あまりにも膨大な作業であるために、願いは願いに留まっている感もあろう。しかしそれを問う前に、日本の学界やビジネス界に、このような世界からの眼差しに対して、人間社会に夢を与えるような内発的発展への活力があるかを自問しなければならないであろう。